「怪しげな外国人」と都知事から揶揄された著者が書いたタイムリーな本。勿論くだんの件に関してもコメントあり。いや、むしろ自身に向けられている「目」に対しての「アンサー本」という位置も本書にはあるかもしれない。
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<br /> 「愛国」をエトノス(自然‐民族‐血)とデーモス(作為‐社会契約)の二律で斬る著者の手法は、安逸に流布される「美しい国」や「国家の品格」に対しての真摯な警鐘である。
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<br /> 加えて著者は自身が「在日」であることを「逃避」していない。真正面から、この国で生まれた「外国人」であることを受け止めた上での「愛国の作法」なのだ。
<br /> 旬な本である。「美しい国」の幅広い人に読まれることを望む。
昨今吹き荒れる右への傾斜に対する恫喝のようにみえますが、中身はなかなか論理的で、宝石のように難解な用語が満ち溢れています。しかし、これは、小泉さんや阿部さんへの敷衍もみられますが、むしろあの数学者に対する返歌といってよいでしょう。筆者が外国姓を名乗ってまで日本の愛国を論ずることが果たして吉と出るか凶と出るかわかりませんが、敢えて確信犯的であり、しかして内容からすると、かなり内心忸怩たる物があるように見受けられます。エトスに対するデモス、が根底に流れる思想でしょうが、これが若干大陸的に感じられるのは穿ち過ぎでしょうか?筆者から怒られそうですが。ただ、見放された者に接着剤のように作用する愛国心は、世を荒廃させる、というようなくだりは、すっと読み過ごしてしまいそうですが、論理的な飛躍が感じられます。
今まで国民国家やナショナリズムを鋭く批判してきた著者が、あえて国家を自己に引き付けて、「愛国」のあり方を考察したのが本書。これまでの超越的立場からの国民国家批判では今の風潮は押しとどめられないという問題意識が行間から読み取れる。本書の著者のスタンスは、井崎正敏『ナショナリズムの練習問題』に通じるものがあるが、本書の方がより有意義な方向に突っ込んでいるといえる。
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<br />第一章では、なぜ今「愛国」がブームと化しているのかが説明される。二章では、そもそも近代国民国家とはいかなるものなのかが基本に立ち返って議論され、三章ではよりスペシフィックに、日本国家の特質について、国体概念を軸に語られる。四章においてそれまでの議論を踏まえ、真の「愛国」のあるべき態度が論じられる。ところどころで安倍晋三の『美しい国へ』が引用されており、かの書の一つの批評としても興味深いものがある。
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<br />印象的なのは、近年の「愛国」という言葉の氾濫状態の割には、「内面から突き上げてくるような理想」がほとんど見られないという指摘。もっともである。昨今叫ばれている教育基本法改正論や改憲論にも、「古き良き時代」としての「過去」が懐古されるばかりで、そこには「やり直す」べき、反省すべき点についての思慮がまるで見られない。本当に「愛国」者たらんとするからには、日本のあるべき姿について具体的な理想を持って、日々切磋琢磨していくべきではないでしょうか。その点、本書でも印象されている「国民とは日々の人民投票に他ならない」というルナンの言葉は至言でしょう。伝統や文化、日本的なる物などといった情緒的なものに浸りきった「愛国」者の言説にいつまでもこの国を支配させておくことは許されません。
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<br />ところで最近の新書は字がデカイ。もっと小さくすれば字数が増え、さらに深い議論が可能になるかもしれないのに。字が小さいと誰も読まなくなるってことなのかなあ…。
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