芥川龍之介の藪の中。戦国時代の殺人事件をめぐって、犯人、被害者の夫、目撃者、被害者(の霊媒の言)がまったく異なるミステリ。その現代、東欧版が米原万里の「真っ赤な真実」。真っ赤なは真っ赤なウソと、共産主義の赤をかけた、作者独特の言葉遊び。共産主義を少女時代に体験した、日本、ギリシャ、ユーゴ、ルーマニアの人々の共産主義が壊滅した現代から語る、藪の中、共産主義の理解は4者4様であり、30年後の現代という時代の見方も4者4様。難しい課題をシモネタも含めた言葉遊びの妙を駆使した、著者の話術が冴え渡る。童話の様な書名なのに、大宅壮一ノンフィクションとは?読後感は、本当に納得する。こんなにうまくかけるなんて。
面白くて一気に3度も読み返しました。
<br />当時のソビエト人学校の様子とか、すごく風情があっていいです。
<br />この人の本を読むのはこれで3つめなんですが、最初にあたったエッセイは結構難しめのことも書かれていて、面白いんだけど「え〜と、なんかムズカシイ・・・どういう意味なんだっけ」と注意深く読み返したりしないと消化できなかったのですが、これはそういうことはない、と思います。
<br />ですが、深い内容なんですけどね。あったかいし。
<br />こんな面白い著者を見つけて、まだ3作しか読んでない、バンザ〜イ♪って感じです。
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著者が9歳から14歳(1960年から64年まで)のときに通ったプラハのソビエト学校時代に仲の良かった3人の友達、ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。出身は異なるが、著者も含めて皆、共産主義者の親を持ち様々な理由でプラハに集まった個性豊かな少女達である。
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<br />この作品は、著者のソビエト学校時代の彼女達との思い出と、それから30年以上経ってから彼女達を訪ね歩き、再会を果たしたときの出来事を綴ったエッセイであるが、単なるエッセイではない。幼い頃から共産主義が身近にあり、瑞々しい感性を大人になっても持ち続けたに違いない著者でなければ描くことができない、東欧庶民の生きた現代史である。
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<br />彼女達と何とか再会を果たすことにより、著者がソビエト学校当時にその理由が理解できなかった出来事の謎も解けるのだが、著者のユーモアのある文章をもってしても30年以上経って明かされた真実は非常に重苦しい。そして、著者がプラハを離れてからの彼女達の人生も厳しいものであったことがわかる。
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<br />更に、彼女達と話をするうちに、共産主義に振り回されそして激動の時代を生き抜いてきたことにより変わってしまった彼女達に共感できずにいる自分に戸惑い、苦い思いを残すなど、決してハッピーエンドではない。
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<br />他にも幼い頃にこういう経験をした日本人はいるのだろうが、感性、文才、ロシア語通訳としての経験、その全てが揃った著者のような人物がいなければ世に出ることのなかった奇跡のような作品だと思う。
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