本書は、単に「たくさんの人が意見を寄せれば正しい答えに近づく」と書いた本ではない。
<br />多様性、独立性、分散性が満たされて初めて正解に近づくと主張している。
<br />実際には、これらを満たす集団はそれほど多くないように思う。
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<br />オンラインコミュニティでの議論が、極端な方向に走りがちなのはなぜか、など、むしろ「みんなの意見が正しくない」ことについての考察の方が面白いと思った。
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大衆の意見が正しいとする根拠で、牛の重さを当てるゲームについて。予想の平均値がほとんど実際の重さと同じであったとある。
<br />まずは、平均値はあくまでも平均で、確率論から言えば尖度、分散の度合い、歪度を勘案しなければならない。たまたま回答数の山が2つ出来ていて、その谷間に平均値が来ることだってあるからだ。分散についても、極めてなだらかな山を形成していれば平均値に集中していると言ってもほとんど意味は無い。
<br />次に、株の予測について。本当の意味で客観的に予想しようとしている人はどれだけいるか疑問。希望的観測が入るのは当たり前だし、マートンの予言の自己成就的な現象だってありえる。
<br />だから、「牛の重さ」と「株の予想」と同じ次元で話をしてはならないはずだ。同じであるとするならばその根拠を書かなければならないが、それはどこにも無い。
民衆制をアプリオリによきものとして捉える前提での議論。対象となる問題、社会の全貌を必ずしも捉えきれない個人が趨勢に従うことで全体として自然に傾向が生まれるという可能性を意図的に無視しているとすら思える。
<br />すでに指摘されているが、株式市場での不安定な均衡、衆愚が生み出した全体主義(国家社会主義)についてどのように説明するのか、問われるのはそうした事実への説明ではないのか。
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