つい先月、著者の阿部氏の訃報を聞き、
<br />あらためて手にとってみた。
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<br />著者の阿部氏はドイツ中世史の専門家で、
<br />出世作の「ハーメルンの笛吹き男」では、グリム童話を手がかりに
<br />中世を生きた民衆の社会的環境、とくに職業や身分による階層社会、
<br />差別の問題を浮き彫りにした。
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<br />本書はその日本史版といってもよいだろう。
<br />万葉集、徒然草、歎異抄、西鶴、漱石と各時代の物語を紐解きつつ、
<br />日本人にとって「世間」がどのような存在であったかを考えていく。
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<br />日本における「世間」の特異性は例えば、
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<br />・世間を騒がせたことをお詫びしたい、という言葉は
<br /> 英語やドイツ語に翻訳することができない。
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<br />・宝くじにあたると日本では世間をはばかって隠したりするが、
<br /> アメリカでは新聞に堂々と顔写真がでる。
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<br />などに現れているという。
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<br />世間は顔見知りの人と人との具体的なつながりであり、
<br />世間体は個人の自由や利害に優先する。
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<br />そして万葉の昔から今にいたるまで、
<br />世間は暗黙のうちに日本人の行動を規定している。
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<br />このことはすなわち、日本に「個人」が長く存在しなかったこと、
<br />そしていまだに日本には「個人」が存在しないことを意味している。
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<br />この本のいちばん凄いところは、
<br />この事実=日本には個人が存在しないことを発見した点であろう。
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<br />なにしろ、あたっている文献の量が半端ではない。
<br />阿部氏にとって日本史は専門外ながら、
<br />本物の学者が本気で取り組んだテーマであることがわかる。
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<br />文献考察が主で、論旨展開に特別な起伏もなく、
<br />読み方によっては退屈かもしれないが、
<br />内容はけっして凡百の日本文化論ではない。
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<br />例えば忠臣蔵の精神は四書五経の中には見つからなかったが、
<br />阿部氏が指摘した「世間」の中にはそれがありそうだ。
<br />「世間」は日本人の伝統的精神構造を読み解くための、
<br />ひとつの大きな鍵なのである。
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<br />誰にでも薦められる本ではないが、名著であることは間違いない。
世間というものに対して社会史的にアプローチした名著。社会科学や従来の西洋知識人の輸入に
<br />依拠ぜず日本の特質を明らかにしている。
<br /> 日本に於いてはネットですら世間的なものが幅をきかせている所から見ても著者の考察は重要である。
<br /> 特に著者の他の著作もあたれば大学という所がもっとも世間的な所であることに思い至るはずだ。
<br /> 世間という語の語源から日本の様々な著作を通じて世間というものを浮き彫りにしている。
平積みになっていたので手にとってみた。目次を見ていたら、最近興味のある人たちを取り上げていたので(親鸞、吉田兼好、金子光晴)買ってみた。なぜこれが「歴史的名著」なのかさっぱり分からんが、内容の半分を占める、恋愛の話は面白かった。井原西鶴ってすごい話を書いてたのね。こんな人歴史の教科書に載せていいのか、っていう気がする。 <p>「世の中(世間、じゃないけど)」といったら「男女の仲」の比喩であった時代があったそうな。そういや、古文の時間にそんなこと習ったなーと思い出した。世の中も男女の仲も世知辛い、甘酸っぱい、っていうことなのかな。それとも、世の中に生きるということが、男女の仲を生きるということなのか。分からない。とにかく日本人って、奥ゆかしくて恋愛下手だと思ってたけど、この手のことにほんとはすごく情熱的なんじゃないかな(或いは、だったのではないか)と思う。