「メディア・リテラシー」という言葉があります。「リテラシー」とは「読み書きの能力」のことです。
<br />テレビ・新聞・雑誌・書籍・ネット等々、我々はこれらのメディアから、毎日、大量の情報を受け取ります。それら膨大な言説とどう向き合うべきか。
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<br />本書では、主に統計のトリックを考察して、メディアの言説における、安易な因果関係の導出、ムードに基づく主義主張の虚偽、などに警鐘を鳴らしています。
<br />その解体作業を読むだけでも、十分に勉強になるのですが、
<br />著者の本当の狙いは、「メディア・リテラシー」の向上にとどまりません。
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<br />「考える」とはどういうことか、「考えること」が「幸せ」へどう結びつくのか。
<br />メディアの言説に対する揚げ足取りが目的ではなく、議論によって「幸せ」の形を探求しようという願いが込められています。
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<br />その意味で、「幸せ」とは無縁な土俵で繰り広げらる「議論」は「ウソ」である、と言えるのだと思いました。
メディアリテラシーを身につけるための格好の良書です。
<br />本書を読むことによって、一見、最もな正論に思える意見が、実はトンデモナイ認識の過ちや
<br />意図的な情報操作によって導きだされていたことが分かるでしょう。
<br />扱われる議論の内容も、ゲーム脳の恐怖や、少年非行の増加、ゆとり教育の学力低下といった
<br />馴染み深い題材だったため、とても読みやすかったです。
<br />メディアに流されるのではなく、自分の頭で物事を考える際の基準に
<br />こうした優れた洞察の知識を身につけることは、一生の財産になると思います。
<br />メディアからの情報を鵜呑みにするのではなく、事実を疑う観察眼を養うためには
<br />こうした本は、一度は、読んでおきたいものです。
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「ウソ」として引用されている少年非行やゲーム脳、ゆとり教育批判等に対する著者の議論はそのまま独
<br />立して扱ってもよいぐらいの内容。
<br />この本で扱われている「ウソ」は以下の4つ。
<br />・統計のウソ:議論の送り手側に問題がある
<br />・権威のウソ:議論の受け手側に問題がある
<br />・時間が作るウソ:ある時期には妥当でも、情勢が変わると不適切となるのにそのままにしてしまうこと
<br />・ムード先行のウソ:問題設定そのものが妥当か検討されずに議論がなされること
<br />この本は、ウソを暴いてこれが真実だ!!とするものではなく、妥当で生産的な議論を行うためにはまず
<br />こういうポイントを明確にし、クリアーにする必要があるというのスタンスで書かれており、だから、何がホント
<br />で何がウソかを暴くことや見分けることがこの本の主旨ではなく、何が問題かを見極め、自分自身の見方
<br />や立場なりに自覚的になることを啓蒙するものとなっている。