シュリーマンは語学の天才で、トロイア&ミケナイを発掘した偉人として知られる人物。彼が清国と幕末日本の様子を、なんとフランス語で書いたのがこの本だ。
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<br />当時の馬がわらじを履いていたという衝撃の記述も楽しいが、最も面白かったのは、やたらに数字が沢山出て来るところだ。
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<br />商品の値段が何フランだったか、何時間・合計何マイル歩いてどこに到達したか、役人や足軽が何人か、城壁の高さは何メートルか、石の重さはいくらか、境内の広さ、船の竹竿の間隔、畳の大きさなど、どうやって知ったのか不思議だが、細かく数字で記述されていて、観察のポイントが、他の”幕末外国人訪問記”とは異なっており、独特で面白い。
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<br />正直、細かすぎる位なのだが、逆にこれほど正確に観察しメモを取るような人物だからこそ、後に古代文明を発掘できたのだなぁと思った。
シュリーマンは、私にとって高校時代からのあこがれの存在で
<br />ありました。シュリーマンは、けして恵まれた環境に育ったわけでは
<br />ありませんが、驚異の語学力の才能を発揮し、ある国の言葉を
<br />話したり、書いたりするのに6週間あれば十分で、語学力を
<br />商売に生かし41歳で事業を引退するまでに遺跡発掘の資金
<br />をため、少年のころの夢であるトロイア発掘を成功させた人
<br />物でした。
<br />私が、シュリーマンを知ったのは、『古代への熱情』を読んで
<br />ですが、まさか、シュリーマンが幕末の日本に来ていたとは
<br />知りませんでした。
<br />シュリーマンの日本滞在は、1865年6月1日よりおよそ
<br />1ヶ月の短いものですが、幕末の江戸の文化を知る上で
<br />すぐれた資料となっています。そして、シュリーマンの卓越した
<br />感性が伝えてくれた内容は、日本が明治維新にどうして成功
<br />できたのかを窺わせるものでした。
<br />シュリーマンは、日本滞在前に、清国へも旅行していますが、
<br />日本に対しては、好意的で、蒸気機関の文明以前
<br />としては、最高水準のもの、清潔な住まい、アジアの国々では
<br />女達が完全に無知なのに対して日本の女達は『かな』や漢字で
<br />読み書きができる。などと評価しています。
<br />その後、世界旅行で英気を蓄えたシュリーマンは、考古学の
<br />勉強をしてトロイア発掘を成功させるのです。
<br />【シュリーマンが日本滞在で行った場所】
<br />手工芸の町八王子
<br />江戸の町
<br />浅草浅草寺
<br />王子の茶屋
<br />等々
<br />チョット気になったのは
<br />この時代の馬はわらじを履いていたらしい。70へーかな
<br />(時代劇の馬がわらじを履いていたためしはないが?)
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<br />清国では、『街中がぞっとするほど不潔で..全裸同然の屑やを
<br />よく見かける。...ぞっとする光景だが、飢えた犬の群れが
<br />糞集めの人夫の目を盗んで、自分の糞や馬糞をむさぼり食って
<br />いる』と言う記述にも興味を引かれた。
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江戸時代末期の日本の様子が実に生々しく描写されている。
<br />まるでこちらも居合わせたかのような錯覚に陥る臨場感である。
<br />そして色々なものを観察されている中で驚くのは、記述に数字
<br />(支払った金額や、建物や道具の大きさなど)が
<br />こと細かく記されており、ものの材質や文化的な背景、言語などが几帳面に記録されている
<br />ことである。(オハイオ、テンポー、サイナラ、ノリモンなど。)
<br />読むだけでタイムスリップ、日本人のルーツを辿ることができます。
<br />最後に、面白かった表現を。
<br />人足→苦力
<br />下駄→親指でしっかり固定された木のサンダル
<br />草鞋→藁のサンダル
<br />蓑→藁のマント
<br />足袋→手袋の形をした布製の靴下
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