友人に紹介されて、旅行中に4巻を一気に読んでしまいました。
<br />ミステリと同じように、一気呵成に読ませる、本当に面白い本だとは思います。ですが〜、と思ってしまいます。
<br />それぞれの人物の描き方は素晴らしいです。建隆帝、西太后、それぞれの宦官、春児、その妹、それに、梁文秀、中でも、李鴻章ですね、格好良いですね、この本で読んでいると、西太后を愛しているかのように感じますね。李鴻章が出てくるところが、一番生き生きと書かれていると思うのは、私だけでしょうか?
<br />ですが、『蒼穹の昴』とは、どういう意味なのでしょうか?最終のところで、春児が宦官になるシーンで終わっています。それは、何を暗示しているのでしょうか?面白いのですが、一体筆者は何を訴えたかったのか、私には分かりませんでした。その点で、一点減にしました。
中国語のピンイン表記は五月蝿い。毛沢東と西太后が同時代の空気を吸ったという事実を知らしめるのは意味あるものの、無理やり。
<br />という風に浅田氏のアザトサを上げれば切りがないものの、とはいえそれでも氏の筆力はさすが。一気に読ませる。
<br />まぁ清朝末期の小説決定版手付かずの時代に司馬の「韃靼疾風録」を参考にし、認めたのであろう。小説としては司馬の自己完結型・自己物語創作型の史観がないだけ、説教臭くなく良い。・・・結論:浅田氏は面白い、けどあざといという稀有な作家。
清朝末期時代を描いた歴史小説の最終巻。
<br /> いったんは引退を決意した西太后も、自分を殺そうとする暗殺者が自爆するのを目の前にして心が変わります。第11代光緒帝が構わずに親政を開始しますが、あまりの急進改革ぶりに支持者が雲散霧消してしまい、孤立。改革派の中心人物だった主人公の文秀は、死を覚悟します。
<br /> もうひとりの主人公の春児は西太后の側近宦官のトップとして困難な舵取りをする西太后を支えます。
<br /> 清朝の断末魔のような動乱を描いた物語は、ラストエンペラー(溥儀)が登場する直前で終わっています。
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<br /> 私はネタばらしをしない方針なので、それぞれの主人公たちが最終巻でどのような運命を迎えたか、という核心部分は、省略させていただきます。
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<br /> ……が、一つだけ、最後の場面を暗示する印象的な箇所を紹介します。
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<br /> 偉大な清朝第6代皇帝乾隆帝の時代に、イエズス会から派遣され異国の地に赴いたという、将来を嘱望されていた芸術家がいました。
<br /> この宮廷芸術家の手記に、次のような記述がありました。
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<br /> たとえば百年ののち、この広大なチナ大陸のどこかで、主も神もヴァ
<br /> チカンも救えるはずのない貧しい少年が、私の芸術のもたらした福音に
<br /> よってすべての苦しみから解き放たれることを、私は信じています。
<br /> そのとき少年は、糞と泥とにまみれた小さな手を天に向かって拡げる
<br /> ことでしょう。
<br /> 生命の歓喜にうちふるえる貧しい少年の瞳に映るもの――それは、す
<br /> べてのヴェネツィアンが、富も名誉も関係なく心から夢に見た青空、神
<br /> の作り給うた青空よりなお青い、蒼穹《あおぞら》にちがいありません。
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<br /> 本書を読み終わったとき、この手記が何を暗示しているかが初めてわかり、あまりの神々しさに、しばらく余韻に浸ってしまいました。
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<br /> 本書は私が昨年読んだ本のベスト5に入ります。ご一読をお薦めします。