以前より読もうと思っていたが、結局文庫化されるまで読まずじまい。何となくタイトルと聞こえてくる評判から変な偏見をもっていたからだ。PR会社がボスニア紛争を牛耳ったことを糾弾している安易な批判本ではないか、と。
<br />
<br />しかし、この本はそういう単純な図式から遠く離れている。ボスニア紛争において、ルーダー・フィン社のジム・ハーフを中心としたメンバーが、明確なPR戦略と実行力で、如何にボスニア=善、セルビア=悪という明快な図式に国際世論を誘導していったかが、綿密な取材をベースに、しかも非常にわかり易い文体で描かれている。
<br />
<br />ここで重要なのは、ジム・ハーフ達が戦争をビジネス化したこと(と、それへの批判)ではない。この本で面白いのは、ジム達が情報の本質を鋭く理解しており、またそれを如何に整理し他者に伝えていくのか、そのノウハウをプロフェッショナルとして見事に手法化していることだ。つまり、事は戦争に限らない。ビジネスでも政治でも、そして学問でも、ある情報をどう整理し如何に他者に届かせるのか、というのが決定的に重要であることをジムたちは見事に喝破している。そして、著者もそのことを十分理解しているが故に、この本ではジム達の手法に対する批判は殆ど見られない。その代わり、著者は丹念な取材で、ジム達のとった戦略、手法、その成否をつまびらかにしていく。よって、この本は単なる国際紛争のルポにとどまらない。例えば僕にとって言えば、いかに自分が日頃のビジネスで情報に対する感度が低いか思い知らされた。この本は、広く情報を扱う人たち、つまり社会人として働いている殆ど全ての人にとって有用な「実用書」と言えるのではないだろうか。
<br />
ドイツワールドカップが終わり、急遽日本代表監督として決定したオシム監督の故郷として、今フーチャーされているポスニア。そして1990年代前半に勃発したボスニア独立によるセルビアとの民族紛争。
<br />
<br />客観的にこの戦争を見ればどっちの民族つまりモスレム人とセルビア人はどちらも血で血を洗うような殺し合いを繰り広げ、その戦場には正義などの言葉は存在しなかった。
<br />
<br />しかしそこにPR企業がフィルターを通し、『エスニック・クレンジング』(民族洗浄)などのPR案を駆使して、全世界の人々を味方につけてセルビアの国際的抹殺を実行した。
<br />
<br />僕はこの作品をはじめて読んだとき衝撃を受けました。ボスニア紛争自体そんなに知らなかったのですが、この『戦争広告代理店』というタイトルが気になり読んでみたのですが、人の思惑はある一部の機関によりコントロールされて、それによった結果が出る。その象徴としてこの作品が存在するのではないのでしょうか。
衝撃的な内容の力作であるのは間違いない。PR会社のこういった仕事も現代社会では否定できないのだとも思う。しかし、読後感は非常に悪い。
<br />
<br />主人公ジム・ハーフが属するPR会社では活動の倫理的問題に非常に慎重であり、例として国内の政党をクライアントとするのを禁じていることが挙げられているのだが、その理由をCEOは「社内には個人のレベルで民主党の支持者もいるだろう。その彼らが仕事とはいえ違う政党のためにビジネスをしなければならないとしたら、それは私の流儀ではないのだ」と説明する。そんなに偉そうに言うことかと思う。
<br />
<br />彼らは、ボスニア内戦はセルビアに非がありボスニアからの仕事の依頼は倫理に反しないとして引き受ける。しかし、彼らはその前年ユーゴから独立したクロアチアから依頼された仕事をしているのである。情報のプロであるなら、悪いのはセルビアだけでないのはわかっていただろう。百歩譲ってその時はわからなかったとしても、その後次々に現れた彼らにとって都合の悪い事実に対しての見事なまでの対応を読むと、彼らに倫理は存在しない。そこにあるのは、クライアントの依頼を完璧にこなす有能なビジネスマンの姿である。それは、ラストシーンにはっきりと現れている。
<br />
<br />著者は、彼が「やらせ」には手を染めず、知り得た情報を見事に使いこなしたと述べている。確かにそうかもしれない。しかし、メディアがセルビアが決定的に不利な状況に追い込まれ、後に事実誤認が発覚した情報を提供している。そして、PR会社の戦略に乗せられるのもメディアである。NHKのディレクターでもある著者はこれらについて触れようとしない。日本の情報管理体制を憂うる前に考えることがあるだろうと言いたくなる。
<br />
<br />この戦争で旧ユーゴの庶民がどうなったのかを知りたい方は「木村元彦」の一連の作品を読んで欲しい。メディアの罪がよく理解できるはずである。
<br />