文庫版で新たに収められた著者と佐藤優との対談で、佐藤は先行する魚住の2つの評伝(瀬島龍三・渡邉恒雄)について「役割を終えていると、そういう前提で全体を整理したわけですよね」(p411)と指摘した上で、今回の野中伝については「どういう違いがありました?」と問いかけている。著者も佐藤も明確に回答を与えていないけれど、やはり、前2作と同様だと私は思う。
<br /> 確かに著者は野中の「弱者へのやさしさ」を強調しているが、他方で「独自の国家戦略を持たず、与えられた役割に忠実すぎる野中の弱点」(p357)を指摘し、「やさしさ」についても沖縄の基地問題にからめて「野中が目指したのはあくまでも沖縄の痛みをやわらげることであって、痛みそのものを除去することではない」(p357)と分析。野中が暗躍してまとめた自自連立・自自公連立については、ジェラルド・カーティスの言葉を借りて「それ以来、日本の政治は後退してしまった」(p377)と評価。
<br /> 1999年、野中は加藤紘一の乱をアメとムチで鎮圧したものの、自民党の旧体質に対する国民の失望と怒りを招き小泉フィーバーを招来してしまう。「野中は自らの墓穴を掘ったと言うべきだろう」(p383)という著者の言葉は、厳しい。
<br /> 本書は野中の出自をめぐる記述に始まり、2003年9月の野中最後の自民党総務会における、麻生太郎の差別発言に対する痛烈な抗議の場面で閉じられる。日本の最高権力一歩手前まで達しながら、自ら身を引かざるを得なかった男の、まさに「差別と権力」の物語。野中の冷酷とやさしさ、辣腕と限界を出自に収斂させすぎる疑問も感じるが、とにかく読ませることは間違いない。
ある種「悪の政治家」の代表格である野中広務。彼の人生を記す渾身のノンフィクション。小泉改革の抵抗勢力の代表と報道され、引退を余儀なくされた彼。しかしながら野中の政治手腕は弱者へのいたわりが根底に流れている。それは彼自身の生き方から湧き出す、やさしさなのであろう。そのやさしさを知ることが出来る野中であるから、その行動、言動にキレがあるのであろう。そのキレに対して、世間やマスコミは冷酷との印を押すしかなかったのであろう。本当はその中にはあふれ出す優しさがあるのである。その優しさを冷静な視線で描ききった作者に拍手をお送りしたい。
野中広務;不思議な政治家だと思っていました。田舎の町長から府議会議員へ、そして50歳半ばで中央政界に来たら、わずか10年余で権力の中枢へ上り詰め、小泉政権からは抵抗勢力の代表として引退を余儀なくされた男。 ある時は保守、ある時は親共産党知事の懐刀。 そして誰よりも役人と同僚政治家に恐れられた男。反面、弱者には優しい男。このような男の真相に、気鋭のジャーナリストが挑んだ力作です。
<br />野中は言う、「君が書いたことで私の家族がどれだけ辛い思いをしているか」。 それに答えて著者が言う。「誠心誠意書きました。これが私の業なのです」。 野中の育った環境、時代背景、政治的闘争歴が彼の政治家としてのありようを規定したことが克明に語られています。 現在進行形の政治の姿を知るまたとない本といえるでしょう。 また、文庫版は、著者と異彩の元外務官僚佐藤優の対談と佐高信の解説がついており、単体でも読ませる濃い内容となっていました。現代政治とどろどろした地方風土を理解する上でまたとない本としてお奨めです。