午後11時56分から翌朝の午前6時52分までの物語です。
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<br />家に帰りたくない事情を持つ女大生「マリ」、その姉の高校時代の同級生である大学生「タカハシ」、その大学生の知り合い、それぞれが持つ事情....。
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<br />気が付いたら読み終わっていたのですが、肝心なところを読み忘れたかな?と思ってしまいました。
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<br />著者は、得たいの知れない世相を描こうとしたのでしょうか?
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<br />得たいの知れない「タカハシ」は、その得たいが知れるにつれて表記が「高橋」に変わりますが、「マリ」の表記は最後まで「マリ」ですし、その姉「エリ」も最後まで「エリ」です。
<br />中国人女性と話す時に「マリ」は”我叫「瑪麗」”と言っていますからヒョットすると「瑪麗」なのかもしれないが、敢えてカタカナで表記したのは、どうイメージするかは、読者のイマジネーションに委ねたいと著者が考えたからなのかな、等と本質とは関係なさそうなことを考えてしまいました。
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<br />村上春樹の作品は「海辺のカフカ」を読んだことがあるだけで、その作風は良く分かりませんが、この作品「アフターダーク」の読後感は「狐につままれた」ような感じです。
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ノーベル賞をもらえそうだと聞いて、何か読まなければと思い、村上春樹さんの本を始めて読んだのがこの作品。
<br />第一印象から変な感じがした。登場人物も普通でないし、表現のスタイルも小説というより、ト書きと会話だけの
<br />演劇か映画の脚本のよう、一晩だけの時間刻みの話というのも劇場向きだが、わざとらしい。一番納得できる人物は主人公の若い女性だが、饒舌ないつもハイ気分の高橋という男とのカップルは不自然だし、似合わない。どこか歪んでいる。ファンタジーでないのに
<br />異次元への移動があったり、白川という役割の分からない男の描写に時間を割いたり、わざと歪めてあるのだろうが、理解できない。
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作者のファンで短編以外は一通り読んでいます。本作もこれまでの作品とは違った試みがなされているようで、大変楽しめました。
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<br />いつもそうなのですが、好きですし面白いのですが、何故、何処がと聞かれると全く答えることが出来ません。
<br />人はそれをミーハーと呼ぶのかも知れません。
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<br />読んでいる最中に色々なことを考えたり、様々なイメージを浮かべたりします。が、例えば読み終わった後に作者が何を言いたかったのか、分かったことは殆どありません。
<br />それは勿論、例えば漱石の『虞美人草』のように作者が伝えたいことに向かってひたすら直線的に突き進んでいく訳ではないからでしょうが、或いは進んでいる積りすらないのかも知れません。また、漱石にこだわる訳ではありませんが、大好きな作家の作品は何度でも繰り返して読んでいますし、その度に新たな発見があるのですが、何故か作者の作品に関してはこれまで繰り返し読んだことはありませんし、読みたくない気すらします。
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<br />何だか支離滅裂ですが、斯様にやっかいで不思議な存在ですが、好きであることだけは事実です。