評伝というよりは架空の人物の伝記というべきこの本、しかし実在する人物の凡百な人生よりも
<br />この男の生き様は重い。偉大な思想家、政治には向かなかった父の生き様・死に様を
<br />観たこの男は結局そのトラウマから逃れることが出来ず。かつまたニュータイプとしては
<br />“二級品”といった屈辱を一年戦争末期に味わったため、グリプス抗争では自分の理想(欲望)
<br />に忠実なシロッコに遅れを取る。その念は第2次ネオ・ジオン抗争でアムロにサイコ・フレームの
<br />アイデアを提供し飽くまで対等に戦おうという姿勢だが、やられたほうは見下されたとしか思えない。
<br />もっとも、華やかに戦場で舞う男は宇宙世紀の市井においてあまりに不器用な人間だったのだと
<br />思い知らされる“評伝”である。しかし、彼の魅力を失わされるものではなく。
<br />“人間”シャア・アズナブルを深く掘り下げてくれる一冊です。
「Z」から「逆シャア」とシャアにとって苦悩の連続の時代を下巻は描きます。
<br />シャアは父ジオンが大衆に神格・偶像化されるのもザビ家が父を暗殺するのも見てきた。
<br />それ故、英雄が大衆の上に君臨するのも大衆がそれを望むのにも逡巡を覚える。
<br />いっそシロッコやギレン程、傲慢になる事が出来たらなら楽だったろうに。
上巻に引き続き、「Z」から「逆襲のシャア」を通じシャアが何を考え、何を求め、「エウーゴのクワトロ・バジーナ」を経て「ネオ・ジオン総帥キャスバル・レム・ダイクン」になるに至ったか?について考察する。と同時に、「シャア・アズナブル」という仮面を被っていたはずの「キャスバル」が、いつしか「シャア」に取って代わられ、「キャスバル」さえも「クワトロ」と同等な「仮面」へとすり替えられて行った過程を見事な説得力を以て解説している。
<br />その一方で、下巻ではむしろ、シャアを「フィルター」とし、彼を取り巻くニュータイプ達を比較・解析することにも成功している。これにより、ハマーンやシロッコ、カミーユそしてアムロ等とにかく過多を極めた「Z」の登場人物の難解なキャラやその相関関係、遂には「Z」の本質、「宇宙世紀」の世界観や歴史を今更ながらに理解させてくれるのである。
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<br />本書が、この20数年間で刊行された数多の「解説本」の中でも、出色の作品であることに異を唱える人はいないと思う。 ただし、(当然ながら)ガンダムに興味の無い人や、主にSEEDのファンであまりファーストは熱心に観ていないという諸氏には、全く価値のない本であることも認めざるを得ないのだが・・・。
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<br />折しもTVシリーズのDVDボックスが発売されており、同書を読むと無性に観たくなってしまうのは、サンライズの罠にまんまとハマってしまったというべきか?