子供の頃、週刊新潮のフランス小咄を読みながらニタニタする子供だった。長じて開高健がヨーロッパで拾ってきた小咄やアネクネードに唸った。そして今また、久しぶりにユーモアの鉱脈に出会った。さすが通訳として世界の各地で場数を踏んできただけの事はある。数多く紹介される小咄が楽しいのはもちろんだが、カラッとした明るさ、品位を保ったきわどさ、笑いの中に潜むペーソスこそ小咄の真髄だと改めて知らされる。そんな彼女のテクニックが言語の異なる政治家や実業家達の間に親交が深まったという美しい誤解をもたらしたのだろうか。サッカー選手が腕や太腿を触らせ、通訳の女性に「もっと硬い所があるよ」という小咄は酒席で披露して大いに受けた。多分著者本人は筋金入りの共産主義者だったろうが、一緒にお酒を飲みたかったな。合掌。
ジョーク(小咄)の構造を分析し、解説しようというテーマはたいへん興味深いものでした。
<br />文章も平易で読みやすく、あっという間に読了することが出来ました。
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<br />ただ、各章の終わりにいちいち小泉批判を繰り返すのは、アンチ小泉の人には面白いのかもしれませんが、私は三回目ぐらいでうんざりしてしまいいました。
<br />全体的に軽くて面白い本書の中で、その部分だけが何か、肩に力が入っているようにも感じられました。
<br />それこそ小咄を上手く使ってブラックな笑いを喚起したほうが、本書の趣旨にも合っていて良かったのではないでしょうか。
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<br />というわけで、実践が伴っていないので☆ふたつマイナス。
これが遺作になるなんて・・・
<br />米原さんは最後までユーモアを失わない方でした。
<br />ご冥福をお祈りするとともに、この本に書かれたことをしっかり学んでユーモアのセンスを身につけ、会話の潤滑油にしたいと思います。
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