フェルメールの全作品を比較的短い期間に世界中を見て回るという、極めて贅沢で、優雅で、楽しい企画に乗った作者も乗った輩だが、この企画をまとめて1冊の新書にした出版社も出版社なら、これを買って読む読者も読者である。 贋作か知れない作品も何点か残っているが、とりあえず現時点でのフェルメール集大成本。 寡作作者でよかった、良かった。
フェルメールの個々の作品と、それが今どこに展示されているのかには、それほどのつながりがあるわけではない。
<br />だが、著者も言っているように、だからこそ一点一点の作品と真摯に向き合うことができた、と言えるかもしれない。
<br />しかも、ちょっとした旅行記も楽しめるという意味では、お得な一冊でもある。
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<br />著者が単純なフェルメール賛美者ではなく、批判精神も持ち合わせているのもよい。
<br />フェルメールにも出来・不出来のあることがわかり、それがあまり知られていない彼の人となりを想像するよすがとなる。
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<br />そもそも、「全点制覇」できるというのもフェルメールの(残存する)作品の少なさゆえ。
<br />それだけに、「全部見てみたい!」と思っている人は、自分も含め多いことだろう。
<br />著者が少々ねたましく思える一冊、でもある。
自分の好きな一枚の絵のために旅をする、これが一番の贅沢なのかもしれません。そういう意味ではフェルメールは、その数と飾られている場所が、北米と西欧に限られているためか、手の届く贅沢ななのかもしれません。もっとも、この贅沢も雑誌の企画でわずか1ヶ月の期間に凝縮されてしまうと、また違う感覚を与えるのかもしれませんが。あまたあるフェルメール本の中でも、この本は入門者向けにかかれたものです。絵の鑑賞も専門的な角度からではなく、キリスト教や聖書、神話の知識に疎い一般の日本人の立場から書かれています。しかし皮肉なことに、著者がこの旅からたどり着いた結論は、寓意や象徴の重要性の再認識と人間以上の”自分よりずっとレベルの高い存在”、つまり宗教、への畏怖の念のようです。