高度な機能を持つロボットが、人間レベルの感情を持つと、一体どういうことになるのか? そのテーマが随所で示されているのを感じた第4巻。アトムにウラン、お茶の水博士、ゲジヒト、アドルフ、プルートゥといった主要キャラクターにまた新たなキャラが加わる巻でもあります。
<br /> 時折差し挟まれる「500ゼウスでいいよ」のコマが謎めいた伏線みたいで、うーん、気になるなあ。こういうミステリー風の仕掛けがあって、それがたぶん、あとになって効いてくる(あるいは繋がってくる)ところが巧いですね。
<br /> アドルフ、ゲジヒト、ボラー調査団という名前も、抜き出して繋げるとある名前が浮かび上がってくるみたいな・・・。大量殺戮兵器、強烈な憎悪、歪んだ夢と狂気といったキーワード的アイテムから、かつて一大帝国の独裁者として君臨していた人物を思い浮かべたんですけどね。こういう人間の感情とか意志とか理想とかが、高度なロボットの頭脳と合体したら、たぶんとんでもないことになるだろうなあ・・・(思いっきり妄想)
「人とロボットの境界線は」という哲学的問題は、もう呆れるほど"拡散した"SFメディアで繰り返し論じられてきたことなので、そこに興味は無い。
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<br />が、そこに絡む愛憎劇となると、それはもう何度読んでも飽きない。
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<br />しかも大風呂敷を広げることとサスペンス・ミステリーが得意な浦沢直樹がその脚本・演出・演技指導を手がけている。これはもう、面白くないわけがない(いや、1,2巻は正直ダメダメだったのだが)。少なくとも今巻に関しては目に付いた欠点などが見当たらない。面白い。
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<br />凄い勢いで登場人物は増えているが、同時に凄い勢いで減っている(死んでいる)ので、あまり大風呂敷にもならなさそうか……?
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<br />よくもまぁ、当時のレトロフューチャーな世界観をここまで古臭さをガス抜きして、新鮮に描けるものだ。流石は浦沢と言うべきか……。
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<br />万人にお勧め。
原作を知らないので、純粋な浦沢サスペンスとしてすっかり虜になってしまっています。
<br />共生していきたいはずの「ロボット」と「人間」。しかしその存在意義は悲しいほど平行線
<br />。なぜならロボットは人間に都合のいいようにしか作られていないからです。
<br /> しかし、人間にとって、便利で都合のいい最高のロボット思い求めようと思えば思うほど、
<br />必然的にロボットを人間に近づけていくことになります。感情を持ちロボットが究極的に
<br />人間に近付いたとき・・・。ロボットは人間の制御という手かせ足かせから逃れ自らの自我
<br />を解き放ち人に牙を剥くのでしょうか。
<br /> 4巻ではキーを握る天馬博士が登場しますが、彼は「挫折、強い憎悪、人を殺すかもしれ
<br />ないほど強い憎悪こそが電子頭脳を育てる。間違う頭脳こそ完璧なのだ」と言っています。
<br />間違うほど完璧。この言葉に思わずぞくっときてしまいましたが、巻を重ねるほどに謎が謎
<br />を呼び、ロボットと人間の悲しい溝を深めていきます。悲しい溝を深めるのは果たして人間
<br />のエゴか思い上がりか、それともロボットの究極的な自我なのでしょうか・・・。