大川周明は 東京裁判で東条の頭を叩いたことで有名だが そのイメージ、つまり 一種の狂人であったという印象が 現代の僕らにも災いしている。かような「狂人」が書いた本を読もうとは中々思えないからだ。
<br /> そんな僕らに対して 佐藤優が 現代に大川を蘇らせたのが本書である。
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<br /> 佐藤優は 現代の論客でも飛びぬけた存在だと思う。神学を学んで外務省に入り ロシア(という 日本人にはいささか不透明な国)で 情報活動に従事し 挙句の果てに獄中で 500日になんなんとする日々を過ごす。その獄中では 宗教、哲学書を読破する日々を送る一方
<br />検察とは対決しつつ かつ 検察側を 惹きつけてしまう。
<br /> 近年の日本に かような過激で凄みのある経歴を持った人は ほとんど居ない。そんな一種の「カリスマ」の 最大の武器は 平易に物事を語る事が出来る点にある。
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<br /> 本書にしても 大川周明を読み解くに際しても 大川に関して殆ど知識と知見が無い人でも十分読めるように工夫してある。
<br /> 特に 現代の外交状況と 第二次世界大戦前夜の日本をシンクロさせていく手法は見事である。「歴史から学ぶ」という いささか陳腐な言葉があるが 本書は正しく それである。佐藤優は 物事を語るにおいて 意外性の高い題材を持ち出してくるわけが 今回の大川周明に関しても その手際の良さには感嘆する。そうして 読み易い。これは紛れも無い才能であるとしか思えない。
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<br /> それにしても佐藤優を通して読んだ大川の言説は 本当に現在にシンクロする。それに一番驚いた。もう少し 大川の本を読みたいと強く感じた。彼は狂人などでは全く無い。あの時代の「知性」だったのだ。
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高校で歴史の授業が未履修と話題になったが、私は授業はあったが小中高と全て明治維新までであった。恥ずかしながら大川周明のことも表題レベルの認識しか持ち合わせていなかった。気になる著者が気になるタイトルの本を出したので手にした。大川周明を紹介してくれたのは大変ありがたい。ただ原文の後の著者の解説が重複であった。この本はプロパガンダである。しかし、我々は収奪ではなく、あなたの国を植民地支配から解放することだという基本認識が相手に対して与える痛みを自覚できなくさせた。他国を植民地にし、そこから収奪しているという認識があれば、やりすぎることはない。という旨の著者の一文には同調できる。これは自己対外部の関係全てに言えることであろうが。いずれにせよ自国の歴史は勉強しなくてはと痛感させる一冊でした。
おそらく今注目の論者と呼んで良い、佐藤優氏による歴史解読論考である。他著ですでに明かになった碩学ぶりを発揮しつつ、単なる現象論に流されず、かつ観念論にも与せず、大川周明を題材に採り、過去現在未来を本質的な部分から透視しようとする佐藤氏の面目が躍如としている。しかし、佐藤氏の他著と異なって、これは格段に読みにくい。獄中日記やモスクワ風雲録のようにはすらすらと行かない。これは別に批判でもマイナス評価でもない。つまり、本書は読者に立ち止まり、吟味し、思考することを強制するのである。
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<br />私のつたない読解によれば、かつ、本書からの私個人の勝手な収穫と考えているのは、大川氏の思想の最重要部分は「普遍主義に基づく世界統合なんか別に考えてない」ところにある、という指摘である。「世界には複数の世界があるんだよ」ということである。普遍主義の最新改訂版ともいうべき、グローバリズムに相対するさい、まことに銘記すべき洞察と思われる。大東亜戦争の教訓があるとすれば、そこを踏まえないで他者の現実主義、プラグマティズムを「狡猾」「反道義的」と断じ、ことの正邪を論ずることで始まる落とし穴に注意しなければならない、ということか。
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<br />では今我々は何をどうすべきなのか、が当然の設問だが、これにたいする佐藤氏の論考は残念ながら尻切れトンボで終わっている。もっともこれを本書の欠陥とするのは酷であろう。むしろ、いま最も本質的な検討を要する課題とその検討のための一出発点を再発掘し、世に広く紹介してくれた著者の慧眼と力量を賀としたい。