引き込まれるようによんだ。からす島のムシのはなしあたりがとくにおもしろい。
<br />なぜかいつも一緒に旅してくれるカメラマン氏はライカを海に落とすという
<br />ひどいめにあったが、つくりばなし(といっては失礼か)でない、かといってルポ
<br />でもないというか、ある意味ノンフィクションで、当時のあったかい書き手としての
<br />村上氏がよくでていて、なんどでもよみたい。声に出して子供にもよんでやりたい。
<br />そんなおもしろさ満載のいい本だ。
<br />アメリカ横断旅行の話も(ライカをおとしたカメラマンさんここでも同行)
<br />なんかよくわかる(2週間かかったそうだ)。私も80年代に誘われた時
<br />いけばよかった。そんなきにさせてくれる一編である。
作家、村上春樹氏の移動と滞在の記録。
<br />
<br />アメリカ、メキシコ、ノモンハン、讃岐うどん、無人島、神戸。
<br />こうして並べてみると不思議な気もするのだが、
<br />語っているのは村上氏一人である。
<br />決して同じような語り口でなく、
<br />対象に即して、異なったかたちで、かつ、実感を通して。
<br />
<br />この本の中には、確かにその場所の空気があり、日差しがあり、
<br />匂いがあり、うどんがある。
<br />
<br />私には「讃岐・超ディープうどん紀行」が一番リアルだった。
本書は作者が体験した旅行エッセイ7本から成り立っています。<br>僕がこれまで読んだことのある村上春樹の旅行エッセイは、どれもかなりのまとまった分量のあるものでした(『遠い太鼓』なんてある意味暴力的なquantityをもって迫ってくる)。<p>だからかもしれないけれど、本書のエッセイは「どれもこれも『分量的に』中途半端だなあ」というのが最初の感想だったと思います。<br>あるものは「おい!」と思うくらいに短いし、あるものは「う~ん」と思うくらいに長く感じます。<p>にも関わらず、僕はこの本の中の短編を数回読み返しています。<br>今回本書を通読したのは2回目なんですが、この本のすごい所は、あの頁・あの文章と、「パラパラと読み返してみようかな」と思って、本を手に取らせる力を持っていることだと思います(なんだか夏目漱石の『読書論』みたい)。<p>今ぱっと思いつくものは2つ(2つも!)<br>メキシコ旅行の『「ここでは誰も言葉の響きというものを理解しないのだ」という認識。』の一下り。<br>ノモンハン編の「どんなに遠くまで行っても、いや遠くに行けば行くほど、僕らがそこで発見するものはただの僕ら自身でしかないんじゃないか」この2箇所。<p>当然前後に文があるからこの文が出てくるのだけれど、この文はそれぞれに僕をひきつける力を持っているような気がするし、(なぜか?)何度となく頁をめくって、この箇所に行き当たっているという不思議な『引力』のあるものです。<p>この本を読んだほかの人も同じような『引力』を感じているのだろうか?というのが、この本に対する僕の疑問でもあります。