当時の政治社会は既に武家の論理に取って代わられており、大夫として律令政治の到来に引き裂かれた万葉の歌人家持の時代以上に、単なる武人の力に日本全体が押し流されようとしていた。そんな中で歌人、文人として独立した表現主体たることは容易ではない。新しい中世政治の中に武力化する政治以上の力を制御し包含する言葉を彼らは見出し得ず、ひたすらそこから離反し身に詰まされるようにして正常な自立心を獲得するしかなかった。もう一人の万葉の歌人人麿が民衆の歌をともに歌い宮廷歌人として政治に歌の呪力を与えることも惜しまなかったのに対し、中世にはもはや歌の世界を継承することさえ至難の業だったろう。古墳時代の後に中央集権の強大な国家権力が完成する前に民主政治の息吹が日本列島に芽生えることはなかったように、平安末期の政治経済の立て直しが歌の言葉によって成し遂げられることはなかった。しかし、仮に世を遁るるの道を歩むことさえもしなければ、古代より細々と命脈を保ってきた歌という覚醒した意識による自然認識とそれに基づいた自己認識自体が戦乱の世に尽き果てていたろう。政治的敗者たる崇徳院と歌の独立を獲得した西行。その対照性が最終部において一際引き立ち、高貴な文体の中で何度となく訴えられる「歌による政治」という言い方が悲痛な叫びにも聞こえる、著者畢生の大作。
創作とはいえ、この本を読んでいる時に私が絶叫していたのは、「こういう男性に出会いたい!」でした。他の方のレビューを台無しにしてしまうかもしれませんが、この本の中の恋は、道なってもみちならなくても美しい。子育てに追われる、枯れてきた身としては、この本の中に描かれる恋に恋をしてしまいました。歴史モノは苦手で、しかもこのぶあつい本を手にした時はどうして血迷ったか?!と思いましたが、しっかり読みきってしまいました。そして今も一番大切な本の中のひとつとしてあります。また、人間関係に疲れている人のココロに響くような言葉もたくさんあり、本当に傑作だと思います。
心地好い諦観をも超えて、生きる歓びを。と、とてもきれいな気分にしてくれる話です。こうした話で文章がうまいのは最低条件でしょうが、辻邦生さんの文章はおいしい日本酒のようにすーっと落ちていく名文です。西行の生きた時代は武士が登場した時代でした。やや長いのですが、朝廷内の権謀術数や、公家から武家に権力が移っていく過程を描くことで、決して飽きさせません。歴史物は面白いけど、俗っぽいのであまりすきではないのですが、この本はそうした俗っぽさがなく好きになりました。ただ「西行伝」ではなく、西行花伝なのですから。