本能寺の変には朝廷陰謀説、秀吉陰謀説など諸説あるようですが、この小説を読むと光秀の怨恨が引き起こした一大事件として非常に納得のいくように描かれていました。なるほどという感じです。
<br /> しかも、光秀という旧体制的な思想、ものの捉え方、信長の革命的な発想が対をなしていたのも印象的。この両者を引き合いに出し、現代を鑑みると、旧体制的な発想から抜けきらない経営者、一部の先進的なものの捉え方をする新興企業経営者がいることから、今後の世の中の移り変わりを占う上で、非常に参考になるのではないかとも感じました。
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<br /> ただ、今でも疑問に思うのが、3巻、4巻と光秀が中心に描かれているのに(信長の場面も省略された箇所が非常に多いのに)、なぜ、「織田信長編」となっているのかということ。むしろ明智光秀編とするほうが妥当なのではないかと感じました。
<br /> そして、残念に思うのが、本作品を通じて、道三の盛衰の衰の部分の描写が省かれていること、また、光秀が当初抱いていた志がいつの間にか変貌してしまっていることなどです。
<br /> 細かな部分をつつくと、「ん?」と思うこともありましたが、☆5つ以上にすばらしい作品だと思います。多くの人に勧めたい作品です。
明智光秀のイメージが180度変わりました。<p>今までただの裏切り者としか思ってなかったけど<p>なんだかとても悲しい人。<p>ほんと最後まで楽しく読めました。<p>あんたすげえよ!!司馬遼太郎!!
この巻では、信長が美濃を手に入れてから、本能寺を経て、光秀の最期の時までを描いている。<p>齋藤道三が寵愛した2名の“天才”の人生を、見事に軸にしながら、いずれも天下を取れなかった欠点部分を曝している様な内容だった。<p>信長=酷薄・怜悧でありすぎる。<p>これは山岡荘八氏の「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康」各書籍でも指摘されていたと思う。<p>光秀=暗い・求心力がない<p>これも一般のイメージどおりですね。<p>ただ、物語を通して明確に、ここが欠点だということを踏まえているから、分かりやすく記憶にのこる内容だったと思う。<p>また、他の作家が筆を尽くして描写したような情景は、多く割愛されていて、今迄知らなかった場面に稿を大量に割いていてくれたので、教科書で勉強できなかった知識を大量に補填できたような嬉しさがありました。<p>司馬遼太郎という作家は、そういった視点で小職に知識を導いてくれるので、愛読できますね。<p>さてと、次は何を読もうか・・・・