著者は現在刊行中の「ローマ人の物語」を初めとする緒作で有名なローマ史研究の第1人者。本書はマキアヴェッリの「君主論」、「国家論」を紹介するものだが、次の2つの特徴を持っている。
<br />(1) 後世に加えられた膨大な註を省いていること。これは、この膨大な註が読み手を遠ざけていると判断したから。
<br />(2) 全訳ではなく、要約でもなく、抜粋としたこと。これも、読みやすさを考えてと、マキアヴェッリの真意をより的確に伝えるため。勿論、どこを抜粋するかは著者の力量による。
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<br />マキアベッリというと今では"謀略の大家"というイメージが強く、"目的のためには手段を選ばない"という文脈で登場することが多い。実際、次のような文章が君主論の中にある。
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<br />「結果させよければ、手段は常に常に正当化される」
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<br />しかし、国家論の中には次のような意外な一文もあるのだ。
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<br />「国家が秩序を保ち、国民一人一人が自由を享受するには、清貧が最も有効だ」
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<br />即ち、大部の論文の中から一つの文だけを取り出して云々しても、全体像は掴めないという証左であろう。マキアヴェッリはこれらの論を、机上の論として書いた訳ではなく、当時衰退していたフィレンツェの地位向上のために、政界上層部に上奏するために書いたのだという(受け入れられなかったようだが)。
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<br />マキアヴェッリの論文は5世紀程前に書かれたものだが、政治の本質はそう変るものではない。「君主論」に次のような言葉がある。今の日本の政治に対する辛辣な批評のように聞こえる。
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<br />「人間というものは、自分を守ってくれなかったり、誤りを質す力もない者に対して、忠誠であることはできない。」
約500年前の論考なので、記されている戦争論には技術進歩があるので、必ずしも現代には当てはまらない。しかし、指導者論や集団統率論、苦境に陥ったときの対処方法論には目を見張るものがある。
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<br />著者の主旨も素晴らしい。注釈を出来るだけ省いて、先入観なく読者自身のフィルターにかけながら読むことが出来る構成に、こんな新しい古典解釈本があったのかとうなずかされる。
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<br />一見すると、一文一文がとてもわかりやすいので読み飛ばしがちになってしまうが、一字一句じっくりと吟味しつつ、かつ読者自身の現在状況と照らし合わせて読み進めてゆくと、こんな素晴らしい指南書はないと気付くであろう。
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<br />これから組織を束ねなければならない人、組織の弊害に悩める人、統率力に自信を失った人には最適の本である。
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<br />マキャヴェッリ自信は『退屈な天国よりもむしろ、地獄を選んだ』人であるが、『天国への道は地獄への道を知ることである』に拍手喝采だ。
先哲の知恵の中から、レビューア自身の理解と解釈により再構成したものを、一つご紹介いたします。本書に出会うための一つのきっかけにしていただけたらと思います。
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<br />【「良い人」だと思われること。しかし、場合によっては実力行使できるだけの力を持て。】
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<br /> あなたは、他の人から「良い人」であると思われたいことであろう。そのためには良い性格で、思いやりに満ちており、信義を重んじて公明正大であると評価されていることが大切である。
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<br /> ただし、勘違いしないこと。実際にそうであるかどうかは別として、そう思われているという事実が必要なのだ。そして、もしこのような徳を捨てなければならない場合には、まったく反対のこともできるような能力を備えていなければならない。どうしてか。
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<br /> あなたが、どんなに良いことを行おうと、どんなに理想に燃えていようとも、現実には善い人ばかりとは限らないからだ。悪賢い人もいれば、力で強引にやろうとする人もいる。
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<br /> このような現実の中で、あなたが自分の理想を実現しようと思えば、それに対抗できるだけの実力を、あなた自身も持たなければならない。悪賢い人の罠を見抜くにはキツネでなくてはならず、オオカミを追い散らすにはライオンにもなれなければならないのだ。
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<br /> 現実をありのまま見て、その本当の姿を知ること。そして、必要なら実力行使すること。
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<br />(ニッコロ・マキアヴェッリ(1469-1527))
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