まずもって驚かされたのは、彼の快楽主義的な面であった。後期に展開されるクレオパトラとの蜜月は有名な話だが、心から多くの女を愛してその姿勢は、現在のイタリアの伊達男たちにも継承されているのかも知れない。
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<br />『伊達男』
<br />漢字からわかるように、これほど言い得て妙な表現はあるだろうか。
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<br />同じく驚かされたのは、借金王であったこと。それも女性へのプレゼントや自身の衣服への投資がほとんどであったと言うのだから、これもまた現代イタリアの伊達男たちに継承されているのかも知れない。
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<br />著者の発する言葉も激情に満ちていて、その息吹が読者に伝わってくるかのようだった。
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<br />従来の歴史書では学べないカエサルの魅力は、借金、女、当代随一の洒落者と言う非常に人間臭いところにあった。
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<br />『女にとって許せない男とは、私を捨てた男ではなく、私を無視した男です』
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<br />フランスの大女優が吐いた名言。2,000年前にそれをわかっていたカエサル。やはり並の男ではない。
前々作のハンニバル戦記と同様、本作品の山場とも言うべきユリウス・カエサルが登場する。本作を読むまで、私はカエサルについて全くと言っていいほど知らなかった。世界史で出てくるのはせいぜい「三頭政治」ぐらいのものだったと思う。何せイエス・キリストが生まれる前に既にヨーロッパには織田信長(?)の如きカエサルがいたのだから驚きである。彼は早くから元老院体制の崩壊をすでに予見していた人物であり、単純に言えば「私益が公益につながる」という信念の持ち主だったようだ。そしてローマ誕生から続いてきた元老院による共和政はカエサルによって終わりを迎えることになる。人によって好き嫌いがはっきりする人物かもしれないが、彼はまさに世界ではじめて変革を遂げた人物と言えるのではなかろうか。
カエサル登場という、シリーズを通して私が最も期待していた「ローマ人の物語」8~13巻は、塩野さんの歴史に対する真摯な姿勢と豊かなイマジネーションが結集されたクライマックスとして、期待通りの読み応えがありました。 たった一人の男の想像力と行動力が「パクス・ロマーナ」への道を開く。その視野の広さは、カエサルの、自己も含めた徹底した人間洞察力がなせる離れ業だった……。カエサルのカエサルたるゆえんが納得できる名著です。 多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない……。大いに反省させられる言葉ですが、カエサルと凡人との違いを決定付けるこの「眼力」の違いに着目し、軸足を動かさずにカエサルに肉薄しようとする塩野さんの決意のほどが伝わって来ました。 教育熱心な母アウレリア、息をのむような戦いを通じカエサルも一目を置いたガリアの英雄ヴェルチンジェトリクス、おそらく主義の違いを超えて人間の大きさに嫉妬したであろうキケロ。登場人物の一人一人が古代ローマという舞台で、生き生きと人生を演じる息吹が感じられます。