世界史の教科書では母親とセネカを殺し、悪政の限りをつくした皇帝として登場するローマ帝国5代皇帝ネロ。<br>しかし本書に書かれているように少し詳しく見ていくと、皇帝としての才能が全く無かったわけではなさそうである。<br>むしろ治世の前半期はなかなかよい政治を行っているように思える。<br>しかしあまりに簡単に人を殺しすぎたり、市民の誤解を招くような行動が多すぎたために、後々まで語り継がれるような悪帝の代表になってしまったのだ。
暴君だったから殺されたのではなく、統治者として不適格であるから殺されたネロの物語。<br> 母アグリッピーナの野望によって帝位に就いたネロ。元老院も市民も、ネロの登場を歓迎する。先帝の嫡子を殺し、母を殺しても、ローマ市民は黙認した。統治がうまくいっていた間は。だが、統治に不適格であると思われたとき、レス・プブリカの為にこのギリシアかぶれの繊細な若者は殺されたのである。<br> アウグストゥスが作り上げたローマ皇帝とは、ローマの住人の父であり、パトローネスであり、レス・プブリカの体現者であった。これほど労多くして実の少ない役もないと苦笑してしまう。帝国は実務を行う人々によって盤石であったにもかかわらず、不適格者の統治は許されなかったのだ。共同体意識の強い場合に良く見られる、すべての責任を一人に押しつける事で得られる安心感が、得られなかったために殺されたとも言える。血は、言い訳でしかなかった。<br> それにしてもこの母子を見ると、男は自分のちっぽけなレス・プブリカのためにも女を愛する方がよさそうだと、愚にも付かないことを思ったりする。この帝政の始まりがカエサルであったら、どんなローマになっていただろうか。<br>
ローマの歴史を全然知らなくても、本書でつまびらかにされる皇帝ネロの名前はどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか? それもキリスト教関連で登場するユダと同じようにダーティなイメージが付加されて。ぼくも読む前は目次を辿るだけで、残虐な極悪非道なエピソードが描かれているのだろうかと想像しましたが、史実に基づいたネロの生涯を読むと、名君とは言えないまでも、カリグラ帝とどっこいどっこいという感想を持ちました。抜きん出た悪人という訳ではありません。では、なぜ、暴君=ネロというイメージがこれほどまでに浸透しているのか? その理由も冷静な筆致で塩野さんが教えてくれます。納得しました。