英語に係わる仕事に携わっていると、日常的に米英のアーティクルやコラムに感化されることが多くなります。感化されるだけならまだしも、ともすると英米的な思考をよしとする傾向も出てきてしまいます。
<br /> その度に取り出すのが、この本『風の男 白洲次郎』です。
<br /> イギリス生活の長かった白洲次郎は英語が堪能。憲法作成でGHQと渡り合っていた頃、米国側のホイットニー将軍に「大変立派な英語ですね」と言われ、「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と答えます。
<br /> 外国車が好きで、英語はぺらぺら、英国仕込みのエチケットに加え、おしゃれな白洲。しかし、彼はGHQをもって「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた男であり、サンフランシスコ講和条約締結の際、吉田総理の演説内容となおかつ英語であることに激怒し、巻紙に日本語で書き直しました。内容も一部変えて。そして、彼の小田原の家は日本の田舎家です。
<br />この本を手に取る度、大事なのは西洋崇拝でもナショナリズムでもなく、バランス感覚なのだと思います。西洋に媚びるのではなく、いいものはいい、悪いものは悪い。そして、英語は、自らの主張を堂々と述べるツールなのだと確認させてくれる貴重な一冊です。
<br /> 表紙は文庫本の写真の方が、何倍もすてきです!
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白州次郎、明治35年生まれ。生きていれば105才?
<br /> 語学力と元にを独特の正義感(プリンシプル)を持ち戦後処理に活躍する。
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<br /> 興味を引かれるのは彼の残した仕事よりも、その背景となった、生い立ちや歯に衣着せぬ言動。
<br /> 時代小説やマンガで登場させても現実離れしすぎて、成立しないような人物。
<br /> ここまで規格外の人物が実在したという現実への好奇心と爽快感がある。
<br /> (傍若無人だが品位・品格がある。)
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<br /> 祖父は儒学者、父はハーバードに留学し綿貿易で巨万の富を得る。
<br /> 白州次郎は神戸一中時代に自動車を乗り回す。
<br /> 大正の時代に現在では免許も取れない年齢で高級外車を乗り回した。
<br /> ケンブリッジに留学して、そこでも2台の高級スポーツカーを乗り回す。
<br /> 現在だとアラブの大富豪の感覚か。
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<br /> 婦人、正子は海軍大将の孫娘、父は明治の初期にアメリカに留学。
<br /> 正子自身もアメリカに留学、帰国後、白州次郎と結婚。
<br /> 晩年は文筆業で名を残す。
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<br /> ここまで、突出した家系は、現在の格差拡大などといわれている日本でも見あたらない。
<br /> しかも、長身・痩躯のその容姿。日本で初めてジーンズをはいた男とされるセンス。
<br /> 現在の俳優でも比類する者すら浮かばない。
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<br /> 大金持ちの息子で、好き勝手をやって育ち、戦後処理で活躍。
<br /> 鶴川の武相荘と名付けた自宅に隠棲し農業や大工仕事をして、葬式無用戒名不要の遺言を残して逝く。
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<br /> マッカーサー相手に天皇の届け物の取り扱いに文句を言ったとか、
<br /> アメリカ人官僚相手に勉強すれば英語が上手になりますよと言ったとか、
<br /> 会員制の強いゴルフクラブで、時の総理大臣を会員でないとして、プレーさせなかったとか、
<br /> こんな人が現実にいたんだと自分の物差しが少し変わる。世間が少し違って見える。
<br /> 史実の検証ではないのだから、戦中のこと、他の一族の人のことに殆ど触れられていないことはよしとする。
気骨。
<br />吉田茂のもとで活躍した男の物語。周囲から嫉妬されて悪口ばっかり言われても、全然気にしない人。
<br />終戦直後の占領下、アメリカに飛んだり憲法制定に絡んだり、すごい活躍。
<br />それなのに、戦中は多摩の方で百姓をやっていたという変わり者。
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<br />こんな変人に会いたい。けどもういないんじゃないかな。