小説の中に、演劇の話として〔豆男〕の話が出てくる。
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<br />稲が十分に育たない痩せた土地に豆を育てる男の話。
<br />最後には助けた村人からも糾弾されて殺されてしまう男の話。
<br />慣習から抜けられない村人へ向けた男のセリフがいい。
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<br />「千年先までそうしてろ」
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<br />権力にへつらうな。求めるな。
<br />わが道を行けばいい。
<br />それで死ぬことになるとしても
<br />自分を裏切りながら生きるより、ずっとましだ。
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<br />などと思ってはみたが、長いものにはまかれろ。
<br />寄らば大樹の陰。そんな意識が浸透している
<br />私の頭は、ちょっとやそっとじゃ変わらない。
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<br />この言葉を捨てゼリフに使うようじゃ、意味がない。
<br />そうしてろと突き放しながらも、考えるのだ
<br />明日のために。
舞台となった地方都市と、そこで繰り広げられる出来事に、とても懐かしく感慨深く共感した読者は多かったのではないだろうか。
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<br />型にはまり切った世代、世界の人々、これも、かの地に、多くいた。そして、型にはまらず、ヤンキーだったり、アウトサイダーであったりするけれども、実は、真心があり、男気、女気があり、憎めない奴ら。彼らの姿を思い浮かべながら、胸を熱くしながら読んだ。
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<br />架空の都市であるというが、これは、自分が思い浮かべたあの町のことで、そして、そこでドロップ・アウトしかかったが、あるいは、ドロップアウトしたが、実は、いい仕事をした、事をなした彼らが、モデルになっているのではないかと、私もそんな胸の高鳴りを感じていた。
本書は、著者のデビュー作『オロロ畑でつかまえて』とそれに続く『なかよし小鳩組』に連なる系譜の“父ちゃん奮闘”のユーモアとペーソスに満ちた小説である。
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<br />遠野啓一は民間企業を辞めて故郷にUターンし、中途採用された市役所公務員。年度替りの4月、彼は市が出資している第3セクターに出向を命じられた。そこは7年前の開園以来、閑古鳥が鳴く、超赤字のテーマパーク「アテネ村」を運営する会社だった。そしてその「リニューアル推進室」でゴールデンウィークの新規の集客増員企画を任されることになってしまう。
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<br />啓一は過去の人脈や民間企業時代のノウハウを駆使して、残業・休日出勤もいとわず仕事に精を出すのだが、そこは田舎のこととて、役所からの天下りの年寄り理事たちや起案書・報告・連絡・相談といった旧態依然としたお役所システムが彼の前に立ちはだかる。愛する妻や子供たちのため、“お父”の奮闘は続く。いつも頭に去来するのは、小学1年の息子、哲平が学校の作文、「お父さんの仕事について」で自分をどう書くだろうかということだ。
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<br />イベントは大成功、「アテネ村」は予想以上の集客を果たした。しかし、それはそれで理事たちの反感を買うのだ。唯一ほめてくれたのは市長だけで、啓一は「新生アテネ村準備室」の室長に抜擢されるのだが、そこにも市長の政治的な思惑があった・・・。
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<br />本書は全編に渡って荻原テイストあふれる、可笑しくて、やがて哀しき奮闘物語であるが、一方で地方の行政、公務員の世界・生態を痛烈に風刺した小説でもある。似たようなお話として織田裕二主演で映画化された『県庁の星』も頭に浮かんでくる、なんとなくほろ苦い“宮仕え小説”である。
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