<br /> この本ほどページ数(400ページ余り)の割りに内容の乏しい本はないのではないか。
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<br /> 「下山事件」のタイトルの本でありながら、著者自身が「僕は事件の真相に途中から興味を失った」と書いているように、事件の真相に少しも迫れていない。情報提供を受けて、問題の人物のかつて住んでいた家を訪ねたり、弟に何度も話を聞いたりするものの、明らかになったことはほとんど何もない。意味のある部分は、ほとんど他の著作からの引用である。
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<br /> むしろ、この本は、
<br />(1)事件をテレビのドキュメンタリー番組にしようとして失敗したこと、
<br />(2)テレビ番組化失敗を受けて、週刊朝日の記事にすべく取材を継続したが、週刊誌の記者との間で週刊誌掲載や単行本出版にまつわり、いざこざがあったこと、
<br />(3)週刊誌のための取材と並行して、事件とは何の関係もない女性を主人公にして下山事件のドキュメンタリー映画を作ろうとしたが、(なんというばかげた企画!)、結局失敗したこと、
<br />など、著者自身の行動ばかり書いている。
<br />「何で、著者の事件への執着や感傷、空振りばかりの取材結果、さらには私的なイザコザを400ページも読まんといかんのじゃ」というのが正直な感想。
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<br /> なお、この本に登場する「情報提供者」の「彼」は、柴田哲氏であり「下山事件 最後の証言」を書いている。また、週刊朝日の記者である諸永裕司氏は「葬られた夏 追跡下山事件」を書いている(私はいずれも読んでいない)。3人は同時期に協力したり反目したりしながら取材したことから、同じような内容が、それぞれの立場から書かれているとのことである。
中途半端でまとまりがない作品という感じだった。
<br />状況証拠にもなり得ないウワサ程度の情報に推測を積み重ねているだけで、
<br />具体的には何一つ真相に迫れてはいない。
<br />しかしそれを大仰に盛り上げるあたりは著者がテレビディレクターの為なのか、いかにもテレビ的な感じ。
<br />松本清張や矢田喜美雄など先人の探求作業の周辺を右往左往しているだけの印象が強い。
<br />紆余曲折の取材過程や出版に至るゴタゴタが描かれており、
<br />下山事件そのものよりも、むしろそういうドキュメントとして読んだ方が面白いのかもしれない。
<br />その意味ではタイトルは不適切に思える。
この下山事件は戦後の怪事件のひとつであり、事件発生から半世紀以上たっているがいまだに真相が明らかにされていない。
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<br /> この事件の真相を探ろうと戦後生まれの映画監督が挑むが、当時を知るものはほとんどが鬼籍に入っている。この本では当然事件の真相はわからない。この本に事件の真相を求めるのは間違っている。
<br /> しかし戦後の日本で一人の人間が国家、あるいは巨大組織の思惑のために殺された。
<br /> 映画の世界のような事件が実際起きたという事実は、平和ボケした戦後世代にとっては大きな衝撃であると思う。
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