主人公は関口敏子59歳。
<br />夫の突然死から物語は始まります。
<br />彼女はサラリーマンの夫隆之の妻として、「恙無く」暮らしてきました。その定年退職した夫の突然の死が彼女の「恙無い」人生を大きく揺さぶります。音信不通だった長男が帰国し同居を求め、遺産相続の問題にぶち当たります。おまけに、夫の愛人の登場となります。この突然の出来事に、彼女はパニックを起こしてしまいます。本作は、ここからの一年弱の間の、彼女が精神的安定を得るまでの出来事を描いています。
<br />
<br />夫婦生活を20年、30年と過ごしてくると、表面的には問題がない(ないように努力している)夫婦でも、どこか齟齬を感じることも少なくありません。彼女の場合は、こうしたもやもやが夫の死によって、一挙に表面化してきます。今まで夫に守られて生きてきて、世の中のことをよく知らなかった彼女が、右往左往しながらも、「自分の人生を生きる」という将来への確実な一歩を踏み出してゆきます。
<br />
<br />この小説は女性が主人公の小説ですが、その周りに登場する男たちの生き方、考え方が同性として良く解ります。定年退職後、男はそのアイデンティティを失ってしまいます。それをどう立て直すのか、それは大きな問題です。いろいろの男性が登場し、いろんな考え方を示してくれますが、いつか私もなんらかの結論を出さなくてはいけない時がきます。男性の側からも考えさせられる作品でした。
伴侶の死や老いの不安をこんなふうに書く小説があったのか、と思った。
<br />
<br />夫を突然亡くした主婦、敏子59歳の物語。悲しみにくれる暇もないまま、亡夫の10年来の愛人の出現、息子・娘との遺産相続に関する揉め事、友人関係の変化、将来の不安など、次々とやりきれない現実に直面させられる。自分自身でも仲間からも「自己主張のない人」と目されてきた敏子。そんな彼女が途方に暮れながらも、荒波の中を小舟ひとつで何とか渡って行こうとする様が描かれる上巻である。
<br />
<br />桐野氏の小説はいつも、生きることはサバイバルであると思い出させてくれる。本作は桐野作品全体から見たら地味な部類に属するだろう。敏子にとっては大事件でも、桐野作品の中では事件ともいえないような出来事だ。でも老いの不安を生きることがサバイバルでなくて何であろう。やはりこれは桐野氏の小説だ、そう思いながら読んだ。
<br />
<br />ディテールに惹かれる。敏子は自分にとって特に共感できる人物でもないが、細部のうまさに磁力のように引き付けられ、「最後まで見届けなくては」という気にさせられた。文章や語彙も、敏子に合わせて選ばれているように思う。敏子の小舟は揺れに揺れる。感情がくるくる変わり、決めたことがすぐ揺らぐ。頼りない。あぶなっかしい。しかし、もともとの気質に加え、突然夫を喪うという経験をすればそれも当然かもしれない。その心の動きを丁寧に追っていて、飽きさせない。
<br />
<br />終盤、「道を道とも気付かず、ぼんやり生きてきた自分を捨て去りたい。道があったのなら、大きく踏み外してみたい」と思うまでになる敏子。下巻ではどんな変貌を見せるのか期待したい。
<br />
この小説の影の主役は心臓麻痺でポックリと亡くなった夫、隆之である。この男が死んだことによって、アメリカに行ったきりだった長男は帰ってくるし、愛人の存在は明らかになるし、その復讐心から妻は生涯初の浮気をする。
<br /> 死んだら、その人の存在が無くなるわけではなく、死ぬことによってはじめて存在感が生まれることもあるのだ。人は他者の中にこそ生きている存在なのである。
<br /> もちろん、本来の主役は、いきなり定年過ぎの夫に死なれ、ひとり残された妻、敏子である。最初は敏子に同情的に読み進むが、徐々に敏子の世間知らずぶり、お人好し加減、主体性のなさに、苛立ちを覚える。敏子は「日本」という国にも似ている。「アメリカ」という夫の支えを無くした時の「日本」をまるで擬人化したような思考回路、行動を敏子は取る。この小説にある種の救いが持てるのは、60歳目前に初めて世間に放り出された敏子が、キレたり、凹んだり、試行錯誤を繰り返ししながらも、独りだからこそ得ることの出来る自由を、自らの手でしっかり掴み取っていく点だ。相続問題、愛人問題など次々に押し寄せてくる困難の数々、その合間の貴重なインターミッションとなっているのが、気の置けない友達との会話である。さまざまな環境、思考を持つ友と話すことで、客観的に物事を捉えなおしたり、勇気付けられたりする。独り生きていくためにこそ、友達、仲間の存在が貴重であることを、この小説は教えてくれる。