ロシア語通訳と言えば米原万里というくらい知名度を一気にあげたデビュー作。<br />字幕と言えば〜通訳者といえば彼女とまでなっています。<br />通訳者共通の悩みにひっかけたタイトルがひとを喰っていてこれがレコードでいうジャケ写買いならぬ「タイトル買い」で失敗、なんてことにならずしっかり実を伴っているのが素晴らしい。
仕事で通訳まがいのことをよくやらされて、その度に冷や汗でなく
<br />文字通りあぶら汗をかき、挙句の果てに先方のアメリカ人から「よく
<br />わからないのですが」と言われ、こちらの日本人の上司からは「おまえ
<br />何しにアメリカに来てるんだ?」と罵倒され(「通訳しに来たんじゃ
<br />ないやい」と心中叫びつつ)、大きなスコップで穴を掘りたくなる
<br />気分を味わっている身としては、本書は骨髄までしみる感動を与えて
<br />くれました。
<br />
<br />それにしても、この過酷なお仕事について、よくもまあこんなに面白く、
<br />かつわかりやすく解説してくれる著者の日本語能力はすごい。通訳・
<br />翻訳というのはやればやるほど、日本語の能力の高さを問われる、と
<br />本書にもありますが、その通りだと思います。だからこそこんなすばらしい
<br />本が書けるのでしょう。ちょくちょく入っている下ネタの利いている
<br />ことといったら!これも著者の類まれな日本語能力の賜物でしょう。
<br />
<br />「惜しい人をなくした」という表現はこういう方のためにあるのでしょう。
通訳者米原万里のユーモアのセンスとは如何にして磨かれたか?この本を読むと、それはやはり意思疎通の難しさを身をもって体験する日常から得られたのだと思わされます。人間とは所詮相互理解に限界がある。同じ文化を持つ同じ祖国に生まれた同じ言語を話す者同士でも話が通じることは稀である。話したいことが相手に通じるという事は実際100のうち10あればいい方です。それが、全く違う文化の全く違う国の全く違う言語のハザマで毎日を過ごさなければならない通訳者であってみれば、なんとか急場を凌ぐべく相手をリラックスさせる必要に迫られる。ただでさえ、隔靴掻痒でイライラしている両者を落ち着かせるためにも、笑ってもらえるジョークでも飛ばして、こちらがどれほどセンスのいい、機転の利く、簡潔にして要領を得た話の出来る人間かをアピールしなければならない。こうした日常が米原万理というひとつの性格を生んだと考えるのは深読みでしょうか?
<br />
<br />笑うこと。それはニンゲンのコミュニケーションにとって必要不可欠です。これなくしてニンゲンの付き合いはありえません。米原万里の壮絶なジョークの機関銃。それは、ある意味ではこうした決して通じることのない二つの文化、つまりロシアと日本の間で生きて死んだひとりの日本人の唯一つの武器であったのだと思います。