実際の強盗殺人事件というモチーフに対して、不謹慎な言い方だが、これは文句なく、おもしろい。
<br />ノンフィクションでもルポでもなく、これはカポーティの「小説」として作品が成り立っているところが、まずすごい。詳細な調査や犯人との面談などに基づいて、作家が独自の時系列を設定し、大きな視点でこの事件を綿密に追っている。
<br />読後は長い映画を見た後のような、なんとも深い満足感と疲労感が得られる。
<br />とても直視できないような悲惨な事件を一つの作品に昇華させた作家の執念、エネルギーの凄まじさに圧倒されてしまう。
<br />「冷血」、とても考えられたタイトルだと思う。
<br />犯人、事件の周辺にいた大勢の人々、判事、検事、弁護士、作家。
<br />ほんとうに「冷血」なのはいったい誰か。
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映画カポーティに触発されて、手に取りました。たまたまCATVでやっていた、かつての白黒映画「冷血」を先に見てから読んだのですが・・原作は活字であることと、事件が(当然ながら)犯人の証言・肉声で語られることから、陰惨さは薄められています。むしろ全体として不思議な抒情すら行間からただよってきます。
<br />また、ノンフィクションであるのに 作者の影すら感じさせません。(考えてみると、事象と書き手の関係性の吐露から物語がはじまり 書き手の感情がたっぷり投影され 事実の『記述』の合間に書き手の意見・『解釈』がひんぱんに開陳される いわゆるノンフィクションは 純粋客観という建前からすると 私小説ならぬ 私ノンフィクション?)しかし、この後 カポーティをふくむ周囲の人々の証言集である「トルーマン・カポーティ」を読んだり 映画「カポーティ」をみたりすると、カポーティが巧妙に自分を消して物語をつむいでいく その舞台裏めいたものがかいま見えてきます。
<br />・・その意味で カポーティがこの作品を「ノンフィクション」でなく「ノンフィクション・ノベル」とよんだのもむべなるかな。
<br /> 作品「冷血」にまつわる諸々を読んだ後 また読みたくなる不思議な作品です。
新訳が出たということと、映画が公開されるということで読んでみたのだが、50年ほど前の古い話とはいえやはり衝撃を受けた。一人一人と殺されていくなか、殺されることが分かった本人はどう思っていただろうか、と読後にずっと考えてた。後味はよくはないが、いろいろと考えさせられた。マイケル・ギルモアの「心臓を貫かれて」という本も同じく殺人犯を描いたノンフィクションで非常にショッキングな内容だった。この内容に近い。
<br />しいて言うなら、写真があればよかったかと思う。インターネットで犯人の顔写真や被害者の写真、現場の写真を探して見て、さらに胸に迫るものがあったからだ。