「人生は小説より奇なり」という言葉がありますが、この本はまさにそんな感じがします。
<br />この本の原題は「VENGEANCE」(復讐)で、ミュンヘン・オリンピックにおけるイスラエル選手・役員虐殺事件に対する報復の暗殺チームを、イスラエルがヨーロッパに派遣する話です。従って、実際の話で、そのチームを指揮した人の話を纏めたものです。
<br />ところが、これを読んでみると、下手なスパイ小説なんかよりもうんと面白くて、一気に読んでしまいました。
<br />映画の「ミュンヘン」もなかなか良かったのですが、こちらは又違った意味で面白いと思います。
映画「ミュンヘン」参考図書とのこと、公開前に急いで読んでいます。概要については他の方が述べてらっしゃるので、個人的にグッときた部分をご紹介します。
<br />
<br />本書冒頭、二つの言葉が引用されています。一つはグレアム・グリーンの本より。もう一つは「エゼキエル書」25章17節。「パルプ・フィクション」でサミュエル・L・ジャクソンが発砲する前に唱えていた、アレです。「復讐するのは私、神だ」という一節。そう、本書は復讐の全貌を描いた本なのです。
<br />
<br />私は「24 Twenty Four」が好きなのですが、本書冒頭で開示されるモサドの方法は、今風のドラマとは正反対です。パワフルな9ミリ弾をばんばん連射する「24」に対し、モサドでは「安全装置のない小さなベレッタ22口径、弱装弾」を使う。「人間が相手ならこれで十分だ」と。そして「銃を抜いたら必ず撃て。撃つ以上、必ず相手を倒せ」。銃を威嚇に使ったりはしない。殺す必要がないなら財布を渡してでも、殴られてでも、銃を抜くな…。そして引き金は必ず2回引く。「忘れるんじゃないぞプスン、プスンだ」。
<br />
<br />主人公たちはモサドを退職し、国籍を秘匿して偽造旅券で活動を始めます。しかし、「任務中に使った金は1セントまで必ず領収書を取れ」。情報入手や非合法の武器の入手では領収書は取れないが、それ以外はタクシー代もコーヒー代も領収書が必要…。
<br />彼らは殺人のプロであると同時に、やっぱり政府の職員=プロの役人なのです。そして、仕事を達成すればするほど、人間性が蝕まれていく。抑鬱症状が出てきます。
<br />
<br />スケールこそ違え、私たちが送っている仕事人生と本質的に共通している何かがある。とても他人事に思えない。だから、本書は面白い。そして恐ろしい本です。
全くの秘密主義で製作され、来月遂に公開となるスピルバーグ監督の「ミュンヘン」の原作。既にアカデミー最有力だという話から、イスラエル、パレスチナ関係者の賛否両論まで、異様な盛り上がりを静かに見せている。この時期に、原作としての本書を手にとられた方も多いだろう。
<br />
<br />本書は発表当時も大変な物議を醸し出し、著者自らがその信憑性をあとがきに記すほどの問題作であった。それはそうだろう、イスラエルと言う現代国家政府が実際にテロによる「報復」(本書の原題)を行ったという内容なのだから。
<br />
<br />本書は、その暗殺部隊のリーダー、アブナーの供述を元に、著者の言葉を借りれば「彼の肩越しに」その出来事を丹念に綴っている。リストに載った11人のパレスチナ人を、それ以外の人間(家族や一般人)を一切巻き込むことなく、かつ恐怖心をパレスチナ側に植えつける方法で殺していく4人の暗殺部隊の動きと、その殺人場面の連続に、読んでいて思わず寒気が走る。
<br />
<br />しかし、読後も更に寒気を覚えさせるのが、アブナー同様、モサドのエージェントとして人生を台無しにされた父の哀れさだし、最愛の妻子のためにモサドを抜けようとするアブナーを引き止めるため、子供を付けねらうモサドの冷酷さだ。
<br />
<br />そして、本書の中でもアブナーが感じ、恐らくスピルバーグも映画の主題にするであろう問題として、「報復が決して抑止にならない」「大儀を持って報復する側も、単なるテロリストでしかない」「これだけ暗殺が可能であれば、いつか自分も簡単に殺される」そういった、テロという手段の本質に関る矛盾を、本書は我々に突きつけてくる。
<br />
<br />映画も楽しみであるが、それもふくめ、本書の提示した大きな課題を、人類はまだ乗り越えられていない事に暗澹とした気持ちになる。