かつて、世界タイトルマッチの観戦記にあったくだり。
<br />日本のスター選手が敗北を喫した控え室での光景の描写。
<br />ボクサーは自らの敗北を「ざまあ見ろ」と書いてくれと言う。
<br />言われた筆者は、だらしなく泣き崩れて
<br />「このアホなジャーナリストを笑ってくれ」と記していた。
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<br />あなたは、アホだよ。読みながら、そう思った。
<br />そんな書き手がジャーナリストであってたまるものか。
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<br />この本は、「一瞬の夏」と「感情的ボクシング論」の亡霊を
<br />振り払うことのできた、はじめてのボクシング書かもしれない。
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<br />過剰なまでに、しゃしゃり出る「私」。
<br />浪花節的な要素が強いあまり、文中で本当に泣いてしまう「私」。
<br />ボクサーとの親密な関係をアピールすることに血道を上げる「私」。
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<br />そういうのは、もうたくさんだよ。
<br />専門誌が売れないのも、閉じた世界のなかで
<br />そんなことばっかりやっているからだ。
<br />一方で「報道」として押さえるべき点を外しまくるのだから、呆れる。
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<br />取材対象に深く入り込めた者が、すべきことは何か。
<br />より多くのファクトを、より適切な形で届けることではないのか。
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<br />贅肉を削ぎ落としたソリッドなボクシング・ノンフィクションが、
<br />ようやく登場した。
上等のブログのようなものか。もう少し深く掘り下げて欲しかった。
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<br />ボクシング界の内幕、ドンキングの力の根源はなにか、ボクサーは王者でありながらなぜ惨めな生活なのか、アフリカ系であることの意味など。
<br />この中の一人か二人に絞って、根本的な背景、原因を書いて欲しかった。ノンフィクションは調査であり聞き取りである。それが無い。
<br />よいのは著者の経験のみに基づいて書かれていることである。そしてそれが物足りない原因でもある。
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<br />とはいえ、20年前の中量級の黄金時代、レナード、ハグラー、ハーンズ、デュランなどに、この本の中で出合えたのは嬉しかった。ただ一本持っている、レナード対ハーンズのビデオを見直した。
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<br />また、フォアマンのところなどは心洗われるものであろう。
<br />“老いることは恥ではない”の言葉、久しぶりに思い出した。来年の年賀状に使わしてもらおう。 ところで、彼の語ったそのままの言葉を知りたいと思う。訳して“老いること”となっているが、ニュアンスは違うのではないかと思っている。誰かご存知の方は教えて欲しい。
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<br />この投稿は書評としては物足りないか。ミクシイの、日記程度かな?
この本で一貫して描かれているテーマは「もがき(STRUGGLE)」。
<br />貧民街に黒い肌をもって生まれた少年がボクサーを志すまでの「もがき」。
<br />そこから険しい道のりを経て世界の頂点に到達するまでの「もがき」。
<br />頂点を極めても、重なる不運と「もがき」ながら彼らは闘い続ける。
<br />そして引退後、現在に至るまでも彼らは「もがき」ながら生きている。
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<br />最終章で著者自身がかつてプロボクサーを目指しながら怪我で挫折した体験を告白している。
<br />ここに、著者のメッセージを読み取る思いがした。
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<br />この本に描かれているのは黒い肌をもつボクサーたちの「もがき」。
<br />しかし「もがいている」のはボクサーだけではない。黒人だけではない。
<br />その程度や世界は違えども、人は皆「もがきながら生きている」のだ。
<br />著者も、そして我々読者も。
<br />「もがきながらも必死に生きる」。
<br />本書は、そんな姿勢をもった者への人間讃歌のように感じる。
<br />深遠なる著者の視座が、単なるボクシング本に収まらず、内容に厚みを持たせることに成功している。
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<br />本書で紹介されるボクサーたちの言葉は、まさに「生きるヒント」である。