ローマ人の物語〈3〉― 勝者の混迷 みんなこんな本を読んできた ローマ人の物語〈3〉― 勝者の混迷
 
 
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ローマ人の物語〈3〉― 勝者の混迷 ( 塩野 七生 )

 勝者必衰の理といいますが、いかなる大国も永遠に安泰であることは不可能です。国外に敵がなくとも、国内に敵を持つようになるからです。したがって、安泰であるためには、外見は同じでも、中身は常に変化し続けなくてはなりません。本書はそのことを非常によく表しています。地中海の強国・カルタゴとのポエニ戦役を乗り越え、ローマは地中海の覇者となりました。しかし、その成功の立役者であった元老院を中心とするローマの政治体制は次第に状況に即さなくなっていきます。ローマという名前は同じでも、制度の改革派と旧勢力の抵抗という二つのぶつかり合いにより中身は変化していくのです。 <br /> <br /> 塩野女史の持ち味である、ローマへの指摘が現代への指摘、は今回も健在です。 <br /> <br /> 「福祉を充実させれば解消する問題ではない。失業者とはただ単に、職を失ったがゆえに生活の手段を失った人々ではない。社会での自らの存在理由を失った人々なのだ(P.39)」・・・私もごく短期間ですが、失業者だったことがあります。朝、起きて、行くべき場所がない、というのは恐怖でした。 <br /> <br /> ガリア人の飢餓に由来する民族移動を防ぐために統治下に組み入れて、インフラ整備等を行うことを指して、「このローマ式やり方は、現代では、侵略路線であり帝国主義であると断じられて評判が悪い。現代では、同じ問題を人道主義で解決しようとしている。ただし、解決しようと努力しているのが現状で、解決できたわけではない(P.106)」・・・痛烈ですが、正鵠を射ています。 <br /> <br /> 「改革とは、もともとマイナスであったから改革するのではなく、当初はプラスであっても時が経つにつれてマイナス面が目立ってきたことを改める行為なのだ(P.111)」・・・旧制度にもプラス面があり、改革の必要が増したときですら、完全にプラス面が消え去ってしまったのではありません。ゆえに、改革の抵抗勢力も必ず存在します。 <br />

 カエサルのような英雄的人物が現れるのにはそれなりの理由がある。<p> もし、カエサルが現れなければローマは近いうちに衰退しただろう。しかしカエサルはたった1人で歴史に現れたのではない。カエサル以前にローマを救うべく奮闘した指導者が何人もいて、彼等ではローマを救うことが出来なかった結果として、カエサルは世に現れたのである。いわば、歴史が彼のような人物を要求したのだ。そのカエサルも、そういうローマを強く思う人間がいなかったら現れなかったかもしれない。<p> 歴史とは単なる時間の積み重ねではない。各時代を生きた人々の生き様の積み重ねだ。そしてカエサルも人の子である以上、その積み重ねの果てに生まれた1人の人間なのだ。それを思えば、この巻は、ポエニ戦争からカエサルが現れるまでの単なるつなぎでないことがわかる。なぜって、ここにはカエサルが現れる理由のすべてが存在するのだから。歴史好きとしては、むしろこういう部分こそ読んでほしい。そしてカエサルを生んだ歴史の流れというものを感じ取ってほしい。<p> あともう1つ。現代の日本って、ちょうどこんな感じだと思うんだよね。将来この時代を振り返ったとき、《英雄誕生前夜だった》みたいな・・・。

 本書では、著者の肯定史観がよく現れており、地味ですが価値ある一巻です。これは、本書内でも指摘されていることですが、この時代のローマに対して、勝者の驕りだの、腐敗だのと批判を加えることは容易であります。しかし、歴史というのは連なりであってこの時代は今までの結果であり、この時代が無ければ、続く時代もないわけです。そうしてみると、著者が決してこのローマの恥部をさらけ出したかのようなこの時代をただ批判のみによって語らないのは、歴史記述者としての代えがたい良心では無いでしょうか。歴史上に起こった出来事の数々は、決して後世の人間に教訓を垂れるためにでも、愉しませるためにあるものでもありません。現在の視点で歴史を裁くことを厳に戒める著者の面目躍如足るものがあるように思います。 <p> しかし、本書内で疑義を呈したい事が一事だけあるのです。それはラテン語の発音についての巻末の三ページについてであります。著者はその中で、日本で行われているものは、ドイツ語発音なので誤りであり、イタリア語発音に準じたほうが正確であると言われる。私としては浅学の身ゆえ事の是非は問いかねますが、著者がイタリア語発音が正しいことへの理由としてあげたことには、疑問を感じざるを得ませんでした。特にイタリア語式ラテン語発音のほうが音読することによる快感を得ることが出来るという考えには納得できない。それはイタリア語以外を話す人にも共通することなのでしょうか?フランス人が、スペイン人が、イギリス人が、ドイツ人がイタリア語発音のほうが気持ちいいと感じているのでしょうか?私は、それは自分がイタリア語を第二母国語のごとく使いこなせるがゆえに感じることなのではないかと、うがった見方をしてしまうのです。もしそのような部分の考察がないのなら、「正しいから正しい」的な、およそ著者の論理からかけ離れた理論展開に堕してしまいます。インフラについてだけで一冊をものした著者です。ラテン語についてもどこかに一章ぐらい使って、腰をすえて論じてみてはいかがでしょうか。ラテン語もインフラに負けず劣らず後のヨーロッパ史に大きな影響を与えた、ローマ人の遺産のひとつです。そのくらいしても、ローマの通史として蛇足にはならないでしょう。<p> ちなみに私が、星を四つにとどめたのは先の不満があったからで、ほんの巻末三ページをあげつらっての結果に過ぎません。本文は今までの二冊に負けず劣らぬ内容となっていますので、手にされることに損はないことを言っておきたいと思います。

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ローマ人の物語〈3〉― 勝者の混迷
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