ローマの衰退は目をおおうばかりとなり、本書では、最後を迎える直前の紀元4世紀中半から後半が描かれています。
<br /> コンスタンティヌス帝は、3人の息子と親族にローマ帝国の分割統治を命じましたが、息子のコンスタンティウスは親族2人を謀殺します。同じ母親の血を引く3人ならうまく協力していけると思ったのもつかの間、他の2人の兄弟が蛮族との戦闘や部下の謀反で殺されてしまいました。
<br /> 仕方なく、親族の謀殺から生き残った二人の従兄弟を順次共同統治者として任命します。猜疑心の強いコンスタンティウスが謀反の疑いでガルスを殺し、際限のない謀殺の矛先をユリアヌスに向けたとき、ついに命が尽きました。
<br /> 歴史上「背教者」と呼ばれたユリアヌスが、少しだけローマ帝国衰退を押しとどめようとしましたが、2年足らずで戦死。その後の2人の皇帝も、北方民族の侵入を押しとどめられず、とうとうテオドシウス帝の死後、2子によって帝国は東西に2分されました。
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<br /> あらすじにすれば、わずかな行数で説明できるこの期間を、著者の塩野氏は克明に記録していきます。
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<br /> 本書では、軍事・政治上の出来事と平行して、副題ともなっているキリスト教の勝利が語られています。
<br /> 著者は、自らを「不信心者」と称しており、キリスト教が皇帝という政治権力よりも力を持つようになった“世俗化”に否定的意見を持っています。
<br /> まして、ギリシア・ローマの「異教」を打ち破った三位一体勢力(現在のカトリック)が、内部の「異端」を迫害するようになったことを、
<br /> キリスト教徒でいながら同じキリスト教からの迫害を受け、
<br /> 悪ければ殉教するという現象の始まりであった。
<br />と述べていました。
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<br /> ローマ帝国の滅亡と共に、暗黒の中世が始まることを予感させる14巻でした。
<br /> いよいよ、次の15巻でローマ帝国の滅亡を迎えます。
ローマの国をあげてのキリスト教化の流れは止まるところを知らない。聡明なユリアヌス帝はキリスト教化に反対したばかりに戦場で謀殺され、その治世は2年足らずで終わり、後にキリスト教史観の中で「背教者」の汚名を着させられる・・・。著者は、このユリアヌス帝の治世が十年以上に渡っていたなら、ローマ帝国やその後の西欧史におけるキリスト教の位置は変わったのではないかと説く。いわばユリアヌス帝がローマにとって、最後の希望だったというかのような扱いだ。
<br />さまざまな異文化・宗教をも受け入れていたローマの寛容性は失われ、偏狭なキリスト教義の中で、建築物、彫刻、書物といった文化財が破棄され散逸していく・・・。ローマは内側からも世界帝国としての性格を失い、ついには皇帝の意見をも左右するミラノ司教アンブロシウスといった権勢家まで現れる・・・。
<br />ローマ帝国内部をキリスト教が席巻し、本来備わっていた活力が失われていく中、国外の様々な状況に対処できる力が失われていく。
<br />これまで皇帝の事績に沿って描かれてきた本シリーズも、ユリアヌスの次を描く本巻の最終章に至っては、皇帝からやや距離を置いた形で描かれていたのが印象的。
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1千年に亘るローマの歴史を物語る15巻シリーズの第14巻であるこの本では、大帝コンスタンティヌスの死んだ紀元337年から、ローマ帝国が東西に分裂する395年までの約60年間を扱っている。「キリスト教の勝利」というタイトルは、筆者は肯定的な意味で使っていない。むしろ、賞賛してやまない、ローマ的な寛容の精神の敗退に対する惜別の感情を表している。失われたのはそれだけではない。たとえば、「蛮族による収奪と国家による重税の双方に攻められて、・・・ 農民は農奴に変わったのであった。」という一節、「蛮族」を「アメリカ」、「国家」を「日本」と置き換えてみると、人ごとではない。