読みながら何度もため息をついた。
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<br /> 僕は登山家でも何でもないので 命を懸けて山に登るという行為がどうしても理解できない。いや「懸けて」ではなくて「賭けて」という漢字のほうがふさわしい。
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<br /> 「そこに山があるからだ」というのが 有名な人が言った「答え」とも聞くが それにしても この「凍」という本で描かれる夫婦の挑戦は凄まじいものがある。
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<br /> 阿部謹也という中世史家がいた。先日惜しいことに亡くなったが 彼は史学を選ぶに際し「それをやっていなかったら生きていけないというテーマを探しなさい」と教師に言われたという。
<br /> それと正しく同じ事を 山野井夫妻は 山に登るということで表現している。彼らは山が無かったら生きてはいけないという点が ひしひしと感じられる。
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<br /> 自分を振りかえる。自分にとっての「山」は何なのか。「それをやっていなかったら生きてはいけないもの」は 果たして自分にあるのか。
<br /> そんな厳しい問いかけを迫られる。それが本書だ。
以前から沢木氏のファンで、TVのドキュメンタリー番組で山野井夫妻も見て知っていたので、書店で見てすぐに買い、一気に読んでしまいました。
<br />山野井夫妻のギャチュンカン登頂の記録と思って読み始めましたが、泰史氏の妙子夫人に対する愛情が端々から感じられて、あーこれは山野井夫妻の夫婦の物語だと思いました。極限の状態でも相手のことを考え、それでいてそれのみになることもなく(プロの登山家なら当然なのかもしれませんが)、最善の方法を考え生還を果たした山野井夫妻はほんとにすごいと思いました。
<br />結婚前に、泰史氏が少年の頃ポケットに虫を入れて、それがガサゴソする音が〜と話し、妙子夫人が聴いてるエピソードなども良かったです。
この本を手にとってしまったと思いました。登山開始後数ピッチの苦しさに似ていました。辛い出来事が待っているのにもう引き返すことができないと感じたのです。
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<br /> 山野井夫妻の奥多摩生活や妙子さんの手については、テレビで見知っていました。何とすごい夫婦なのかと驚嘆の念を禁じえません。沢木耕太郎がこの二人を対象とした理由は分かりすぎるほど分かりますが、内容・出来栄えにこれほど意外性のない沢木作品も少ないでしょう。つまり、予想どおりだったのです。
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<br /> ギャチュンカン北壁は予想どおり困難な壁であり、ビバーク、雪崩、凍傷といった困難に次々に襲われます。そして奇跡の生還、これも知っていることですから意外性はありません。
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<br /> それでもなお、この本が私を泣かせてしまったのは、実は山野井の母が語る一言だったのです。ギャチュンカンから下山した妙子の指を見た義母は、この子らの面倒を一生見なければならないと思うのです。山のためには凍傷なんてと考える夫妻との強烈な対比が、ここに凝縮されています。
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