京都と東京の比較文明論はかなりあるのだが、酒井氏の場合はあくまでミーハー的京都好き、という観点から実体験を通じて論じている点にとても好感を覚える。京都を観光地として消費してゆく他県人が多い中、単なる「遊び場」として京都を扱わず、東京も京都もそれぞれによい点悪い点があるのだということを平明な文章で語られると、京都人である私も、肩肘張った京都論や、京都に移住したとたんに京都文化にかぶれてしまうような人々とは一線を画した視線を感じる。なかには笑えるエピソードも。たとえば、東京人が京都へ来ると「地方人扱いされる」ことに酒井氏は驚いているが、京都人にしてみれば当たり前のことで、かえってびっくりした(ほとんどの京都人は京都が地方とは思っていない)。また、祇園会と高円寺阿波踊りが比較されているののには、オドロキというよりどうして比較の対象になるのか不思議なばかり。こういった本で、お互いにショックを受け合えばいいのだろうと思う。ただし、事実誤認もいくつかあり。「古川筋商店街」は「古川町商店街」の間違い、錦(市場)を下町と書いているが、京都には下町・山の手という概念はない(あるとすれば「上・かみ」と「下・しも」くらい)。また、牛込のことを都会と書いているが、明治時代の牛込は森が茂った田舎である。泉鏡花が牛込南榎木町から三番町に引っ越してきたときの新聞記事には、「鏡花氏、牛込の田舎を出て麹町へ」といった言葉が見える通り。東京人でも案外土地のことを知らない例である。
<br />しかし、あくまで「よそさん」として京都によせる愛は好ましく、京都人も、もう少し「よそさん」に気を遣ってあげるべきだなあ、と思った次第である。
京大と東大の比較論が秀逸です。
<br />東大生に対する温かくも辛辣な指摘はおっしゃるとおり!思わず吹き出してしまいました。
<br />よくぞ書いてくださいました。
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すでに雑誌に連載されていたとは知りませんでした。この度単行本で「都と京」ルビ「みやこ(と)みやこ」に心惹かれて読ませてもらいました。東京に長らく住んでいて、割に最近になって京都の魅力に憑かれて、懐の深さを、しなやかに語っています。
<br />「京都は和風病患者達の聖地」「〈和〉のテーマパーク」と言う比喩、「かゆい所がかゆくなる前にかいてくれるような」イメージ表現も随所に見られて、飽きさせません。そして重層的な奥深さを称えます。
<br /> 東京も「みやこ」ですが、「東の、みやこ」という意味なのでしょうね。京から見れば「アズマのド田舎であった江戸」であっても頑張って今の東京を築いたわけでしょう。
<br />「天皇さんは、ちょっと東京に行ってはるだけ」と言う京都のご老人の言葉を紹介しているのも、実に面白い。
<br />「小京都」という言葉は、地方の伝統を維持する都市に使われるが、県庁所在地等が「小東京」言われるのかどうか。どれほどの魅力があるのか、疑わしい。
<br /> 京都はよく、閉鎖的な所だと言われるが、それは少し違う。「いつかどこかに帰る人」に対しては、とても優しい土地柄です、と肩を持つことを忘れない著者です。
<br /> 暑かったり寒かったりするのは、決して居心地が良いわけではない、それが快感に思えるようになったら「あなたはもう京都の虜になっているでしょう」とこと。
<br />「貞女は二夫(じふ)に見(まみ)えず」と言われるが、東京も京都も(都も京)「どっちも好きなんだもん」と言われる著者の「みやこ」に対する「愛の鷹揚さ」に参ってしまうのです。