映画を見てから読んだせいか、やや、全体として各章が、さまざまな情報を盛り込み、拡散しているように感じた。しかし、映画「硫黄島からの手紙」は、二時間のなかに、硫黄島での戦いを二人の主人公に焦点を当て説明しているのだから、映画のほうが、ぎゅっと絞り込まれているのは当たり前。そもそも比較はアンフェアだろう。最も印象に残ったとことといわれれば、第一は栗林の最後の電文「散るぞ悲しき」の部分が、発表では「散るぞ口惜し」に修正されたことを明らかにしたくだりだ。この部分がかなり早い段階で紹介されているために、栗林と大本営の戦争に対する考え方の相違を想像しながら読み進めることができる。第二は、最後に栗林を見た帰還兵がおそろしく老け込んでいることに驚いた理由を、解説しているくだりだ。思わずそうなのかとうなったが、ここではそれを説明しない。いずれにせよ、栗林中将の関係者が、ほとんどいなくなるなかで、ぎりぎり間に合った、後世に残るノンフィクションだ。
まず、硫黄島からの手紙を読んでました。
<br />彼の手紙だけだと分からなかった、反対側の様子や、島の状況がよくわかり、またしかし、この本だけだと手紙から一部文章が抜擢されているだけなので手紙の部分が物足りず、、、
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<br />あわせて購入し読んでみると良いと思います。
<br />著者の一貫した抽象的な表現のおかげで自分自身で栗林忠道を想像する事ができます。
硫黄島の戦いで、2万の将兵を指揮する中将の姿を克明に描こうと試みた傑作。「名誉に逃げず、美学を生きず、最後まで現実の中に踏みとどまって戦った栗林の強烈な意思を確かに具現していた」、「空疎な理想によってではなく、人間が生きるその足下を見つめる目によって、栗林は戦おうとしたのである」等、著者は資料を紹介する合間に栗林を讃える。しかし、最後の総攻撃に打って出る間際の目撃談も紹介して、栗林の「弱さ」の現れではないかと冷静に分析する事も忘れない。著者は生身の中将の姿を描く事を試みる。読み終えて重く心に残ったのは、わずか60年前に、家族を思い、辛く死んで逝った人達の後に、私の生が有るという厳然たる事実だ。本棚に残しておいて、10年後にまた読み返したい。