数学史を紐解くようで大変楽しく読ませていただきました。
<br />ピタゴラスから無理数、複素数の誕生、帰納法そしてゲーム理論、群論と数学史を紐解くような感じでした。またその中で宮岡、岩沢、谷山、志村らの日本人数学者の名前が出てくるのも興味をそそいました。
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<br />数学的なBackgroundがない読者でも、登場人物の苦悩の様のストーリーが十分に楽しめるお勧めの一冊です。
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既に十分に評価の高い本なので、私は内容面より、その「読ませる!」翻訳に注目したい。翻訳者青木薫氏は、な、な、なんと、女性である、といったら、差別的表現になるのでしょうか? 氏の読みやすい、こなれた日本語のおかげでページを繰る手がもどかしく感じられるくらいである。 サイモン・シン自身、差別を受けた過去の女性数学者に対してとてもにやさしい目で接しているのが印象的。
本書は、17世紀にフランスの数学家フェルマーが証明なしに後世に残した定理について、20世紀にワイルズが完全な証明を成し遂げるまでの現実の「ドラマ」を描いたものである。筆者のサイモン・シン氏は、緻密かつ丹念な取材に基づいて多くの数学者たちの生き様を見事に描写している。
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<br /> 本書では、一人で苦しみながら、到達できるかどうか分からない証明というゴールへ迷いながら進んでいくワイルズの苦悩を垣間見ることができる。数学における「証明」とは、ある「公理系」において与えられた「命題」を、公理系のルールに従って矛盾なく、有限のステップの論証でその真偽を明らかにすることであるが、この「命題」の中には、真偽の決定が不可能なものが存在する。つまりフェルマーが残した「命題」は証明が必ずしも存在するとは限らなかったのである。
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<br /> 「証明が存在する」という前提で証明に挑むのと、そもそも「証明自体が存在しない可能性がある」場合とでは、証明に挑むモチベーションに天地の開きが出るのは想像に難くない。350年間、誰にも証明できなかった事実は、フェルマーの残した命題が決定不可能なものである疑念を抱かせるには十分と思われる。しかし、ワイルズはきっと「フェルマーの最終定理」に証明が存在しないなどとは夢にも思わなかったのだろう。数年間に渡りフェルマーの研究に没頭し、他の論文を発表せず、研究者としては終わったとの評価を受けつつも、自身の研究者生命をかけて見えないゴールを目指していたワイルズの限りない挑戦心に是非、触れてみて欲しい。
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