なぜベストセラーになったのか、「タイトル力」というものだけでは、なんとも理解しがたい不可解な一冊だ。しかも、本の内容は決して読み易くはない。
<br />養老氏は、ここで「脳化」という概念を提唱する。
<br />「脳化」の対極にあるのが「身体化」である。「都市化」は「脳化」、「農村」は「身体」である。
<br />そして、「個性はどこにあるのか」「個性は脳になどない。身体にこそ、個性がある。」という。
<br />氏によれば、もともと人間の「脳」には大した違いはなく、「個性を尊重する教育」などは無意味であるとしている。
<br />「他人と自分を分けるものは顔であり身体である」「身体こそが自分」だという。
<br />解剖学者である氏から見ると、「人間の脳」であれば、基本的に同じ性能・構造をもつのであるから、確かに他の動物と比較した場合には、「人間の脳なんか全部同じ」というふうになる。氏にとっては、個性ある人間とは「身体が個性的」であるからというのがその理由だ。
<br />その「個性」なんかないはずの「脳」が、「身体」を凌駕し圧迫しているのが「都市化」であるとのことだ。
<br />携帯電話やインターネットの普及も、氏にとっては、「脳化」ここに極まれり、ということになるのである。
<br />氏にとって世界とは、常に「脳」と「身体」のパワーバランスで成り立っている。氏自身の立ち位置というのは、「脳化が過ぎるから、もっと身体化せよ」であり、だから「脳に個性などない」になる。ところが、「脳」というのは身体の中にあるのである。けれど氏は、その「脳」ばかりが「身体」を無視して勝手をしている、というのだ。
<br />氏にとって、「個性」を語るうえで経験や記憶というものは無視していいもののようだ。
<br />また、「読み書き」が得意な人と、「計算」のほうが得意な人は、氏から見ると「大差ない」というレベルの違いとなる。
<br />「音楽」が得意な人は、「手が得意」「口や声帯が得意」「耳が得意」なのだろうか。
<br />「人間」は不可解なものである。たぶん解剖学では測れない。
申し訳ないですが、これがベストセラーになる理由が私には
<br />良くわからない。
<br />バカの壁というタイトルは、とてもキャッチーではあるが
<br />内容は逆に、不愉快だった。
<br />自己の論理を押し付けているだけで、結局は何か放り投げている。
<br />とてもそんな気がした。
幼稚園児の頃、百課辞典を作ろうとしたことがある。幼稚園児としたら韓国の数え年でわずか7歳。実年齢は5歳というところか。あの時の知識というのは知られたものだ。蟻の行動や、水は氷点下では凍り、100度からは空気になるなど――。しかし、そのような短編的で乏しい知識でも、自分の中ではある程度体系を作り始めていたのだろう。勿論辞典と言っても、ノートに手書きといったものだが、必死に、当たり前のように書いていたのだ。なぜかはわからない。ただただ、当時の私の「理解した世界」をどうにか表現せずにはいられなかった気がする。
<br />「バカの壁」全巻を読みわたってから、私はあの頃の自分のことを思い出した。著者は結構年だが、彼は自分なりに「理解した世界」を表現しているのだ。一見面白く、論理的に聞こえるところもあるが、一般常識・教養を持つ人なら、誰もが本のあちこちの穴の存在に直ちに気づくはずである。飛躍しすぎ、思い込みすぎ。至極当然のように染みている人種主義には吐き気さえ覚えた。
<br />偏った考えは物事の見方までをも危うくしてしまう。自分の見方はどちらかに偏りすぎてはいないか。この本を読んで、思い込みの恐ろしさを思い知らされた。