この件については、ぜひとも井沢元彦の「逆説の日本史」の進行を待たねばならない。
<br />というのは、かなり売れたらしいこの本が、実に惜しい出来であったからだ。
<br />保阪の弱点は、「語りの下手さ」である。「文章がうまくない」ともいう。
<br />もともと「語り」のうまくないこの人の書いた小説などは、惨憺たる有様であった。冗談で出したとしか思えぬ。
<br />保阪は目のつけどころはいいし、精力的に活動しているし、知識もそこそこあるし、別にいいんである。あとは文章さえうまければ。
<br />往時の本多勝一をはるかに下回るその文章力については、ほとんど驚くといっていいと思う。
<br />文章力といっても、難解な用語を使えるとか、国語の教科書に載るような文章を書け、というのではない。保阪がなによりも求めているのは、象牙の塔に認められることではなくて、大衆に読まれることだから、「語り」が下手くそではダメなのだ。致命的といえる。
<br />また、保阪本人が、「文章が下手なことは、目をつぶってくれ。俺はとにかく真実を追求していくから」的な姿勢であることも、見逃せぬ。それなら、取材と研究だけして、書くのは語りの得意な誰かにまかせたらどうか。
<br />これが売れたからといって、己の文章力が認められたなどと思われては困る。売れたのはそういう理由ではない。
<br />これを読んで「井沢さん、はやく来てくれ」と思ったのは私だけだろうか。
自虐史観を摺りこんだ戦後教育の結果どういう思考回路が出来上がったのか、という標本としてであれば、サヨク博物館に展示してみてもいいかも。どうしても買いたい人は、これだけは注意して読んで下さい:彼の主張の裏付けになっている歴史資料は信頼できるものなのか?彼自身の主義・主張に合わせて史実を歪曲したり、無視したりしていないか?最近は読者の知性を甘く見た新書が多いから要注意!
本書の最も共感する部分は、愚かな戦争を起こし、それを継続し、敗北に至った背景に潜む日本人の体質について言及した部分だった。理念の軽視、策に溺れ、目的を見失う傾向、願望を現実化する戦略を持たないなどの指摘は、実は、今の政治、官僚、企業経営などにも、当てはまる問題で、そういう意味では戦争の反省は行われていない。著者の問題意識の中に、日本人の中に戦前から脈々と流れる負の部分を読み解こうとする態度は支持できる。ただ、では、そういう負の体質から、どうしたら抜け出せるのかは、この種の本には書かれないことが多い。それは筆者の仕事ではないないというかもしれないが、本当にそれでいいのだろうか。