1991年の初めから、約2年半にわたって氏はアメリカ、ニュージャージー州プリンストンに住んでいる。この地を選択したのはF・スコット・フィッチジェラルドのためであることは村上氏の小説好きならピンとくるところである(この時の様子を綴ったエッセイが『やがて哀しき外国語』だ)。<br>本書は氏のまもなくスコット・フィッチジェラルドの没年(44才)にならんとする年までのスコット・フィツチジェラルド研究の集大成と短編二つの翻訳からなっている。こつこつと積み重ねられた文章は最高のスコット・フィッチジェラルド研究になっている。さすがは最後はその地に住んでまでやり遂げたことはある。<br>これからも、ゆっくりとゆっくりとスコット・フィッチジェラルドの著作を訳して行きたいと氏は語っている。60才までには『グレイト・ギャッビー』を訳してくれるようだ。<p>僕は『グレイト・ギャッビー』だけでなく是非とも氏の訳した『夜はやさし』を読んでみたいなぁ、と願う氏のファンの一人だ(●^o^●)。
~ 「リッチ・ボーイ(金持ちの青年)」、全く素晴らしい短編です。非の打ち所がないというのはこういうことをいうのでしょう。専門家から見たらあるいはここはちょっとなあという部分もあるのかもしれませんが、僕にとってはそんなところ見つけようと思っても無理な話でした。まず冒頭からしてイイですね。余談ですが訳者の村上春樹さんはここのところを自著~~の「スプートニクの恋人」でちょっと真似て書いています。というかこれを読んで「そういえばスプートニクに同じような箇所があったな」と思いました。文学的パロディ、あるいは一種のオマージュですね。「グレート・ギャッツビー」と同じような方法で書かれているのも特色の一つです。これは間違っているかもしれませんが、「ギャッツビー」の直前かすぐあと~~に書かれたものであるような気がします。<br> 春樹さんのエッセイもどのフィッツジェラルドの伝記よりも読み応えのあるものです。おそらく彼がどれほどフィッツジェラルドの作品に心酔しているかということが、読むものにとって邪魔にならない形で嫌みなく提示されているからではないでしょうか。<p>~~<br> 僕は思うのだけれど、誰かに愛されていないことには彼は幸せにはなれないのだ。<br> 「リッチ・ボーイ」~
スコット・フィッツジェラルドという人となりが、ある程度まとまって分かるようになる本です。特に良かったのは、フィッツジェラルドの生きたジャズエイジ(1920年前後)の雰囲気がとてもよく分かること、そして奥さんのゼルダのことが詳しく紹介されていること。エッセイ以外に、2つの短編「自立する娘」と「リッチ・ボーイ(金持ちの青年)」の翻訳も掲載されています。特に「リッチ・ボーイ」は印象的で、またしばらくしたら読み返したい短編。