超人である空海を一般人の感覚でとらえたらこうなるのだろうな
<br />という感じである。例えば、空海の性欲話など、筆者の想像の域
<br />を得ず、聖人に対して失礼ではないであろうかと思ってしまう。
<br /> おそらく筆者にしても空海が余りに巨大すぎてとらえられず、
<br />空海の周囲を旋回し、推測するだけの記述になってしまったのが
<br />残念である。
<br /> どうせ書くなら、筆者の想像をまじえてもよいので、思い切って
<br />小説化してしまった方がすっきりしてよかったのではないか。
流石、司馬遼太郎といわざるを得ない出来でした。司馬氏の小説は、自身が小説に「余談」として参加してきます。小生、その情報収集能、分析能力、それらのエキスを文章化する能力に酔いしれてきました。<p> 本著はその際たるものであると思います。空海の行動、台詞に一度も断定型を用いることなく「余談」をベースに完結へと向かいます。<br> 学者(解説書)ではなくあくまで小説家としての司馬氏にあらためて敬意を表したいと思います。無論、形而上的な真言密教についても(下手な解説書より)解りやすく、詳しく何度も説明があり読了後には密教を理解した気にさえなってしまいます。<p> 司馬遼太郎の底知れぬ想像力を改めて痛感させられる一冊でした。
空海という空前絶後の巨人を随筆風に描いた作品。空海の思想という核心には近づかず、その周囲を旋回しつつ、周りを点検していくという作業が繰り返される。上空から空海という存在を俯瞰することにより、等身大の空海のイメージを徐々に読者に固めいってもらうという狙いがある。それゆえ、「空海の思想」という核心に近づきたい人は、ある種の歯がゆさを感じるが、読了すると、「俯瞰することで、実は人間空海の実体に近づいていた」ということに気付く。あえて核心から遠ざかり、周囲を旋回しつつ、徐々に人間空海にアプローチしていくという、巨匠司馬遼でしか出来ない見事なアウトボクシング。