「デザインに於ては、付け加えるものが何も無くなつた時ではなく、むしろ何も取り去るものが無くなつた時が「完成」である。」
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<br />アントワーヌ・サンテグジュペリの言葉であります。彼は「星の王子さま」の著者として有名ですが、本来は生粋の飛行機乗り・設計者でありました。
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<br />この言葉が成る程と思わせる重みを持つてゐると感じたとすれば、その向かうに見えているのは、試行錯誤の中から「完成」を見出す現場、其の臨場感と真実の確かな手応えで在りましょう。
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<br />同じ手応えが本書からも伝わつて来ます。好い文章を生み出す為に、試行錯誤と鍛錬を続ける三島氏。
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<br />氏は文章に於いて「気品と格調」を何よりも大切にしてゐると述べてゐますが、最終的に目指したのは、個性的な文章では無く、「何も取り去るものが無い」普遍的な文章であつたのだと思ひます。
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<br />言葉は、お互いに共通で在るからこそ成り立ちます。思想も亦同じです。従って個性(共通でないこと)と意思疎通・伝達(共通であること)は根本の処で相反してゐます。その観点から見ると、三島氏にとつては後者が大切でありました。 其れが切なく伝わつて来ます。
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<br />周知の様に非常に豊かで在つた氏の個性や思想は、言葉使いで演出して飾り立てる必要など更々無く、むしろ「人々に価値を伝え、共に生きて行きたひ」と云ふ切迫した願いを言葉の普遍性に託す他無かつたのであります。
三島由紀夫の美しい文章は多くの読者の憧れ。
<br />自分もああいう風に文章を書きたいと誰もが思う。
<br />しかし彼の日本語は、豊富なボキャブラリーと天才的な感性が生み出す芸術であって理論の入る余地は少ない。
<br />この一冊を読んでも三島由紀夫になることも近づくことも難しいだろう。
<br />まずは別の日本語本を読んで日本語の基礎を学んだ方が良い。
<br />そして、彼の文章の美しさに近づけるなら彼の作品や国語辞典を熟読した方が近道だ。
谷崎潤一郎氏の有名な同名異本が、書く側からの文章技巧に主眼を置いたに対して、こちらは文章を「読むため本」という意味で題名に忠実な作品かと思える。あくまでも主題は「書く事」ではなく、「精読者」への誘いなのである。日本語が古から持つ得手・不得手、構造的な解析に始まり、森鴎外と泉鏡花を近代日本文学の際立った両極の文体の持ち主と定義して、そこから長篇と短篇、カテゴリー、そして文章技巧へと解説する流れは、森から林へ、そして一本の木を辿るように体系的で非常に読みやすく解りやすい。
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<br />引用されている文学作品の例文が豊富で、川端康成氏の「掌の小説」から「夏の靴」が全文紹介されるなど、まるで「文章図鑑」のようでもある。また、作家自身の個性が際立った文体に着目して載せている事も見逃せない。このように本作は、極論すれば、文章読本の名を借りた「作家論」でもあり、近代文学を楽しむための良質なガイドブックの性格を持ち合わせた優れた評論ではないかと思います。オススメ。