本書は1973年4月から著者がベトナムに短期滞在した際の、現地レポート。
<br />
<br /> 著者が訪れた同じ年の1月にパリ協定が結ばれ、前月の3月末には米軍の撤退が完了している。まさに米軍との入れ違いで南ベトナムのサイゴン(現ホーチミン市)訪問したことになる。
<br />
<br /> 著者はこの戦争を後ベトナム人が一人も存在しなくなるまで続くと文中予想しているが、ちょうど2年後の同じ月、1975年4月にサイゴンは陥落し戦争は実質的に終了している。司馬氏さえも未来を占うのは難しいのだ。
<br />
<br /> 裏を返せば本書はある意味貴重なレポートだ。サイゴンにつかの間の平和が訪れた瞬間の街の様子を我々が知ることが出来る良書ともいえる。
<br />
<br /> それに、司馬氏によるベトナム観察は現代にも十分参考になるものだろう。
昭和48年、司馬49歳のときにサンケイ新聞に連載された紀行型の文化論である。
<br />
<br />司馬は文化・文明を論じるとき必ず現地を訪れたそうだ。その目で見、その耳で聞き、その手で触れて、脳裏に民族の歴史を風景画のように描く。イメージが深まってくると、眼前の景色が突然、何百年も遡った当時の風景になるという。そのようにして描いたベトナムの風景がここにある。
<br />
<br />ベトナムは朝鮮、日本と同様、中国儒教の影響を強く受けた国だそうだ。中国文明は2500年前から儒教でもって周辺国家を従えてきたが、今に残っているのはこの3カ国しかない。歴史的にいえば世界にたった3人しかいない兄弟のような間柄だが、朝鮮はともかくベトナムについては、筆者はほとんど知識がなかった。その点でまず大変勉強になった。
<br />
<br />司馬がベトナムを訪れたのはベトナム戦争が終結した1973年である。したがって戦争に関連する話題がどうしても多くなっているようだが、全体としては歴史的、文化的、思想的にみたベトナム人と日本人の類似性を考察する内容になっている。ベトナム人と日本人は根本的な人間の質がとてもよく似ているらしい。
<br />
<br />「いまの日本の企業社会で、同種企業と気が狂ったように競走をしているサラリーマンたちの70%以上は祖父の代まで、太陽の下でスゲ笠をかぶりながら畑の草をとっていた。たった二代で大変化をおこしたこの社会で(中略)、しかし心のどこかで、かつての人間らしい社会へ回帰したいという思いがたえずある」という。ベトナムには現代の日本人が回帰を願うかつての日本がある、だから「ベトナムはなつかしい」という。千年ものあいだおたがいに農耕文化を保ってきたことが民族の根底に共感を生むのである、という。
<br />
<br />すでに30年も前の事跡だから(2006年現在)、今はどのようになっているかわからない。が、いつか彼の国を訪ねてみたいと思う。解説の桑原武夫も名著と太鼓判を押す。一読をお勧めしたい。
人間の集団について、というよく分からないタイトルがついているが、街道を行くのベトナム編として十分楽しめる。ベトナム旅行中に読むと内容が心にしみます。ぜひ、ベトナム旅行にはこの一冊を!