私−スティーブンスは、2つの大戦の間で、様々な外交会議の立役者となった政界の大物ダーリントン卿の執事をしていましたが、卿の亡き後、屋敷ごと新しいアメリカ人の主人の元で引き続き執事として雇われています。ある日、その主人から、自分が留守の間に旅行をしたらどうかとすすめられ自動車旅行に出ます。旅の目的は、英国の風景を楽しむことと、20年前まで同じ屋敷で女中頭をしていたミス・ケントンが、あるいは再度ここで働く意志があるのかどうかを確かめるためでした。
<br /> その旅の途中で、スティーブンスは、過去の大英帝国の栄光の日々ともいえるダーリントン卿の時代を回想します。ダーリントン卿の元に集まった名士たちのこと。父親のこと。そして、女中頭のミス・ケントンのこと。
<br /> スティーブンスはしかし、古き良き英国の伝統が失われつつある中、敬愛するダーリントン卿を失脚から救うこともできず、また個人的にも、ミス・ケントンとの愛情に気付くこともできませんでした。彼は、自らの道を選択することもなく、ただひたすら主人を信じ、執事としての道を進むことしかできなかったのです。
<br /> 時にはこっけいほどのおかしみの中に、最後には深い哀しみが心を打つ「日の名残り」です。
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大英帝国の没落、ダーリントン・ホールがイギリス人からアメリカ人の手に、スティーブンスの執事としての絶頂期の終焉、すべてが一日のうちの夕方を示しています。
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<br />作者は言います。「いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。気が滅入るんだよ。」「後ろを振り向いてばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された時間を最大限楽しめ」と。
<br />過去の栄光を振り返り現在を嘆くのではなく、前を向いて生きろと言っています。それは、スティーブンスとミス・ケイトンとの関係にも言えるかも知れません。執事と女中頭として、恋することを心の奥に押し込め仕事に専念した時代。それは、二人にとって最高の日々だったでしょう。でも、時は移ってしまいました。時は逆戻りすることはありません。二人は、現在を受け入れるしかなかったのです。
<br />スティーブンスにとっても、執事として精進することを選んだ以上、失われた別の人生を羨んでいても仕方が無いということでしょう。
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<br />映画では、アントニー・ホプキンスが、憂いの溢れる演技で見せてくれました。
日本で生まれた人が書いたとか,そういうことは考えなしに名作です。
<br />ほほえましく読もうとしたら,執事スティーブンス(朴念仁)の一喜一憂の日々。
<br />このまじめ一辺倒の男がとても愛しく読めます。
<br />ミステリーとして読もうとするのならば,スティーブンスの人生を捧げた卿の実体を追うとその巧妙さに鳥肌が立つでしょう。
<br />旅行小説ロードノベルとして読むと,目の奥にイギリスの田園風景が広がります。
<br />人生を捧げた主人と現在のアメリカから来た主人,休暇の旅行,イギリスの戦争時代が渾然一体となり話は進められます。その,展開の緻密さに読者はすぐにこの小説世界に引き込まれていきます。
<br />そして,その終わりに,
<br />心の中に閉じ込めてある箱。その中身を認めてしまったら自己の崩壊につながるような,決して直視したくないもの。スティーブンスは開けてしまいました。そして,やっぱりパンドラの箱には希望が残っていたのでした。
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