とても面白い。時間を費やす価値のある本。創造的な仕事の現場があからさまになることは少ない。創造的な仕事の現場にいた物だけが知りうる示唆に富んでいる。そして成功体験から抜け出すことの難しさ、あえてそれに挑み挫折しながらももがいていく姿が描かれる。黒澤への鎮魂歌は同時に全ての創造家への鎮魂歌であろう。頂点を極めた物のみが見ることができる世界とそれを経験したチームの眼を知ることができる貴重な読書体験を与えてくれる一冊である。
黒澤明を語る最近の著書はもっぱら「影武者」や「乱」以降の晩年の出演者が中心で物足りない、黄金時代を知る人々は皆鬼籍に入ってしまったと思いきや、黒澤明の最高傑作群である「羅生門」・「生きる」・「七人の侍」を第一稿から着手した共同シナリオライターである橋本忍氏自身による著作をまさか読む事が出来るとは、夢にも思わなかった。間もなく90歳もなろうとする著者は、「切腹」・「白い巨塔」・「砂の器」など単独の執筆作品でも数々の名作を生み出した日本映画史に残る脚本家であるにもかかわらず、人生の最晩年に描くべき自叙伝とも言うべき著作が、黒澤作品に焦点を絞って描かれた事は非常に驚きであった。黒澤ファンには喜ばしいが、橋本作品に思い入れが深い人にとっては、やや複雑な思いではなかろうか。
<br />人物造詣を徹底的に掘り下げることで傑作を生み出すことを黒澤から学び、その後一人の脚本家として大いに活躍する一方、「複眼」から過剰な「主観」に陥り人物の掘り下げを怠った、晩年の黒澤作品に対する手厳しい描写も興味深い。いずれにせよ、世界でも稀に見る(黒澤明を含む)一流の脚本家による共同執筆の実際が、正にその当人によって著されたことは、映画史における史料価値としても、物凄く価値のあることではなかろうか?
黒澤明監督は、全30作品のうち、はじめの6作品と最後の3作品をのぞき、すべてのシナリオを共同執筆で書いた監督です。
<br /> 本書は、この特殊な共同作業による脚本がどのように制作されていったか、どのような功罪があったか、という実態を、共同執筆者本人が明かした一書です。
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<br /> 黒澤監督との作品の方向を打ち合わせ、作品のねらい、物語の場所や時代などの背景を決めます。
<br /> まず、著者がたたき台となる第一稿を作成し、黒澤監督のもとへ持参。すべてを吸収するかのような黒澤監督の原稿読みのあと、作品をどう仕上げるかが検討されます。
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<br /> 日本旅館に長期宿泊した黒澤監督と共同執筆者たちは、完成稿へ向けて、通常は朝10時に原稿執筆を開始。昼食をはさんで午後の5時まで一心不乱に原稿を書きます。
<br /> 意外にも、シーンを分担することはせず、同じシーンを同時に執筆し、おたがいの原稿を組み入れたり、一方をボツにしたりしながら、コツコツと作品完成に向かって歩みを進めます。
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<br /> 『七人の侍』までは、著者も納得するできばえのシナリオができ、特に『七人の侍』は、著者自身が「黒澤作品の中で一番面白かった」と賞賛する作品に仕上がりました。
<br /> しかし、その後、「あらかじめ第一稿を用意する」という手順を省略して「いきなり決定稿」という方式に変更してから、不出来な作品がめだつようになりました。
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<br /> 著者は、断腸の思いで、「黒澤明は芸術家になったために失敗したのである」とまで言っています。
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<br /> 黒澤監督が死去して8年。今年88歳になる著者が、
<br /> 「その概要、いや、一端だけでも書き残すことが、この世にただ一人だけ
<br /> 生き残った黒澤組のライター、私の責務ではなかろうか」
<br /> という思いで書いた文章は、どのページを開いても、遺言のような重みがあります。
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<br /> 映画とは何か、と考えさせられる一書でもありました。