もうどなたかが書いているが、ミルトンフリードマンのエピソードは興味深い。何か、金の亡者が学説を垂れたようなものだ。分からないわけではない。ナチスの民族断絶を狙った弾圧の中で育ち、もう国が信じられなくなったことだから、あらゆる国家の規制を憎み、自分たちだけでも金の力で生き延びるという、半ば狂気の人生だ。しかし、経済至上主義が、実は、被害者から加害者に転換していくことが、問題なのだ。抑圧された者が、抑圧者になる。市場原理主義は世界に惨害をもたらしつつある。グローバリズムなどは、むしろ、国境を閉鎖しつつある。指の指紋と顔の写真を取り捲り、もう、X線の監査を潜り抜けて、内部統制とやらで、がんじがらめで、競争が大事といいながら寡占独占で、コンプライアンスといいながら法の支配は尊重せず、文化や伝統には目もくれず、富める者が分かち合うことなどもうどこにも無く、小さな政府といいながら軍事予算だけは膨張させる。南アメリカでの古典派の失敗が、よくかけている。いったいこの国の経済学者は何をしているのか。一読を進めたい好著である。
筆者は、日本型の共生経済を示唆する著書を何冊も出しており、本書もまたそれを芯に据え時勢の事柄を加筆して、筆者の他書より読みやすくした本である。 著者に初めて触れる読者にとっては、理解しやすい入り口になろう。
<br /> 規制緩和については、縁故資本主義に関する部分や時代の現状にそぐわない部分のみを改良すべきで、市場に全てを任せるアメリカン=グローバリズムでは、人間の生活が破綻をきたす事は、CIAが関与して行なってきた南米各国で証明済みであり、それらの国々が軍事政権から脱却し、民主主義政治で再規制を行い、再び持ち直したことも歴史が証明している。
<br /> 何でも米の言いなりになる日本であるが、格差の増大・殆どの民の不況感・経済問題を原因とする自殺など痛い目は充分多くの人が実感しているはずである。
<br /> このままでは、益々国に米に約束した内需拡大のつけを負わされ、また合併特例債という餌をぶらげられ地方債をジャンジャン発行してきた自治体が、国に梯子を外され夕張市のようになる例は増えようし、都会でなければ不便で生活もできなくなるであろう。
<br /> 投機マネーが、世界中に自由に移動する為の、いわば野放しの経済ルールでよいのか?それとも欧州型の人を主体にした経済を選択するのか? 有権者として惑わされてはならないだろう。
<br /> 携帯電話メーカーのノキアは、自社の際は勿論、下請けの選択時にも環境への影響から従業員の待遇に至るまで様々な条件を審査するという。 それにより地域から愛され、従業員が誇りにし、インセンティブが湧き上がり、グローバルに進出していく力を持つことができたと。
<br /> そんな会社が日本でも増えることで、世界から認められてこそ、教育基本法に“愛国心”の記述を加えずとも、日本人としての誇りを持ちえるのではないだろうか。
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民主化された国で一番初めに起きうることがリベラリズムだ。
<br />自由を追求する思想体系(リベラリズム)は、現代では、個人の自由な選択を保障するためには政府の介入なしに自由放任にする(自由至上主義・新自由主義)のではなく、極度の貧富差による支配者への隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐ目的で、政府や地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく社会的な公正を指向する思想であるが、これがあらゆる「規制緩和」によって過剰に自由を求め始めると社会は荒廃の道を辿ることとなる。
<br />本書はその経過論理を理論的にまとめられている。
<br />内橋氏はどんな事象においてでも上記ごとく論理的に記されている著作が多く、とても頭に入りやすい。
<br />さて、あとは庶民としてどのように処したら良いのかということだが、いわゆる「勝ち組」には問題にする事自体憚るだろうが、国民の大半を占める庶民からしたらそうはいかない。
<br />やり方はいろいろあるだろうが、「日本国民の70%は従順な性格だ」と言われていることに疑問を感じられたらまずは第一歩を踏み出したことになる。自由主義下の従順さとは隷属だということを自覚しよう。