日本国内で圧倒的なシェアを占め、一方では、日本以外では殆どと言って良いほど売れない「Jポップ」。その背景にあるのは日本人の集合的無意識を考察する書。<br>読んで思うのは「なるほど、そういう解釈もできるか」ということ。日本という国の文科的、宗教的な背景であるとかから、Jポップ、アーティスト達を解釈してみよう、という試みは面白いし、一定の説得力もある。<br>が、やはりそこはそこで、かなり強引な解釈としか思えない部分もあるし、そのアーティストに関する曲・行動などから、趣旨にあった部分を「良いとこどり」して、説得材料にしてしまっているのでは? と思えてしまう部分も多々ある。そもそも8組のアーティスト、それも時代に関してもザ・ブルーハーツから椎名林檎まで、かなり幅広く、時代背景の変化などを考えれば、それらを一緒にする、というのもかなり無茶な話だろう。<br>そういうわけで、これをそのままJポップを産んだ背景などというのはどうかと思うが、話の叩き台としては面白いし、話のタネとして気楽に読むには良い書なのではないだろうか?
ありそうでなかったJポップ論の快作。ユングの「集合的無意識」という、緻密な議論を好む学者には不評だが、しかし妙な説得力のある理論をベースにして、ミリオンを突破できるポップ音楽の深層に潜む日本人の心理をあぶりだしていく。うがった分析でありかつリズムのいい読みやすい文章で、最後まで興奮して読み終えた。すごく楽しい。<br>たとえば、サザンとユーミンは、盆と正月に回帰する先祖の霊魂をもてなすための、民俗芸能の延長上におかれる。GLAYの「20万人コンサート」は、考えてみると、成人式が崩壊した時代に復活した古典的な「通過儀礼」だったとされる。甲本ヒロト・草野マサムネの書く歌詞は、日本風のアニミズム的仏教の系譜につらなるというのだ。B'zが「パクリ」でも評価されるのは、そもそも日本は「模倣」の文化の国だから……。すごいぞ!<br>まあ、どうも腑に落ちにくい部分もあった。とくに浜崎あゆみの章は、現代の身体論の問題と日本民俗学の知見が混沌と提示されていて、いまひとつまとまっていない気がした。それでも、解釈のおもしろさは、かわらないのだが。<br>この「トンデモ本」すれすれの作品に、痛快な説得力を与えているのは、著者が「オウム問題」や「ガングロ・ファッション」などの取材で獲得してきた現代社会へのリアルな認識のためであり、そして何より、独学による「日本文化論」の知識量のおかげである。へたな専門家より理解が深いのでは、とすら思える記述も多々ある。だから、本書は、Jポップをネタにした日本の民俗学・宗教学の入門書としても使えるのだ。なんて読みがいがあるんだろう。
この本の章立てを見る。<br> <br>1)日本的共同体とアメリカ 桑田佳祐=サザンオールスターズとお盆の祖先霊祭礼<br>2)現代日本のシャーマン=ユーミンと年末の神道的祭礼<br>3)成長なき時代の成長神話=GLAYと育てゲーム、たまごっち、ファイナルファ<br>ンタジー<br>4)ロックによる救済=ブルーハーツとオウム、仏教<br>5)死を見つめて=草野マサムネ(スピッツ)が書く「不吉な」ラブソング<br>6)文明と闘うサイボーグ女戦士=浜崎あゆみ<br>7)娘による母親殺し=椎名林檎<br>8)日本的「模倣文化」の象徴=B’z<p> 魅力的なテーマが並んでいる。<br> Jポップという目に見える事実を分析し、目に見えない日本人の精神的内面を探っているのである。<br> 思考とは、目に見える事実を基に、目に見えないものを発見することである。このような意味で烏賀陽弘道氏の試みは正に思考である。<br> ぜひ、あなたも、烏賀陽氏と一緒に〈知の冒険〉に出発してもらいたい。