司馬遼太郎の名作『竜馬がゆく』の第七巻。竜馬の海援隊は、土佐藩の後押しを得て軌道に乗り始める。その最中に起こった、いろは丸の事件。坂本竜馬と岩崎弥太郎、土佐藩が巻き込まれた悲劇に、歴史の足踏みはやや穏やか。竜馬が海援隊の事業の影で、刻々と進める倒幕計画はまだ半ば。その傍らで愈々煮詰まる薩長両藩を横目に、竜馬は一つの賭けに出る。それは、勝海舟と大久保一翁がかつて竜馬に語った、笑える夢物語だった。大政奉還。唯一つの奇跡に竜馬の胸が躍る。或いは、苦労の末に築いた薩長との関係に亀裂さえも生じさせるこの妙案の成功に、又一つ大き過ぎる力を注ぐ竜馬の晩年の奔走がここから始まる。<p> 坂本竜馬の人物像はしばしば薩長同盟や大政奉還の一点に集約される。その観点から言えば、竜馬の幕末の印象とは距離がある観も否めないが、それはあくまで表面的な印象に過ぎまい。竜馬の興味そのものは寧ろ海援隊の事業にあり、彼の人生を追うこの小説の主題から言えば、非常に彼自身の人間性を集約した一冊になってると感じられた。又、本小説後半で政治的な動きが続く事から、しばしば重複事項や回りくどい余談が見受けられたが、海援隊の事情に話の大筋が偏っているがゆえに、長い文章にやや飽きてきた読者にも新鮮味があった一冊となることだろう。
『竜馬がゆく』を読んで、僕は初めて幕末の混乱や難しさを知った。<br>歴史の授業ではここまで詳しく語られることはないだろうと思う。<br>佐幕から勤王へ、攘夷から開国へ。<br>様々な立場が入り組んでいる時代。<p>誰もがその流れの中で泳いでいるのに対し、竜馬だけはそれらとは違う自分の流れを築き、持ち続けます。<br>そして、常に時期が熟れるのを待つ。<br>時期が来なければ大事は叶わず、と竜馬は自分の流れを常に待ちます。<br>海援隊の前進となる浪人藩ともいうべき亀山社中、互いの利益を説いた薩長同盟はその中でも独特の竜馬がなしたという輝きを持っています。<p>天が放った坂本竜馬が天に帰るまでを、もう少し読み続けたいと思います。
倒幕に向けて着々と準備をすすめる薩長に、土佐が加わりいよいよ倒幕が現実味を帯びてきます。<p>武力による倒幕では、国内が疲弊してしまいそれでは列強の思うつぼである。誰もが『そんなことは分かりきっている。しかし幕府を倒さなければならない。それには武力によるしかない。』と考える中、竜馬だけが“大政奉還”を主張し、実現させてしまいます。<p>幕府に対しては、『徳川家の存続の為にはこれしかない。』<br>討幕派に対しては、『武力で倒幕するにも今のようにちまちま兵隊を集めていては事もならない。大政奉還が大義名分にあれば堂々と兵を集めることができる。』<br>と双方にとって大きなメリットのある案であると説いて回ります。この竜馬の行動力、人間的魅力というのはこの段階に来ると本当の奇跡になっています。竜馬自身が奇跡なのですね。<p>かの有名な船中八策など、個人的にはこの巻は特に好きです。