明治・大正そして戦前の昭和という、日本の歴史上でもまさに疾風怒濤の厳しい時代を生きた日本人の大多数にとっても、幕末から明治を生きた乃木希典という一人の軍人のいきざまは、俗な表現をすれば「驚異的」とでも表現するほかはなかった。乃木の、峻烈なまでの自己に対する厳しさの、いわば残りかすでしかない部分を、大戦末期の戦車乗りである司馬氏は現役兵(といっても最前線になど出たこともない)教育の、悪しき精神主義として経験した。そんな自分の経験・知識が、乃木のあまたの同時代人、および直接乃木を知る世代から彼のいきざまを伝え聞いた多くの日本人たちに比べても、乃木の価値・能力を見るに優れているとの過てる自負がこの書の記述にあらわれている、といえる。
<br />本書はまごうことなき傑作だが、はからずも司馬氏の限界点でもある。
<br />乃木を知ろうとお考えになるのなら、本書はあってもさしつかえないが、なくてもよい書、である。有用な書は、探そうと思えばいくらでもある。興味のおありになる向きはご自分でお探しいただきたい。本書を読んで乃木を理解したと思うのは、テレビドラマ「水戸黄門」を見て日本史の勉強をした、と納得するのと変わらない。
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徹底した事実調査を背景に、著者の鋭いメスが容赦なく振り下ろされる人物が多く登場します。<p>神格化までされた、乃木将軍もその一人。<p>藩閥政治の寵児として、出世を果たしたがその能力はと言えばはなはだ疑問であるとばっさり。歴史に弱い私でも乃木将軍の話は聞いたことがありました。その記憶と著者の描写とのあまりの落差に驚きを禁じえませんでしたが、著者の描写が限りなく事実に近いのだろうと思います。<p>人格には優れていたが、知識がなく、結果能力のない参謀である伊地知を見極めることができなかった。それが旅順総攻撃の惨憺たる悲劇を生むことになる。<p>鉄壁の要塞を前に、初めて目にする機関銃の掃射で、仲間の兵士がごみのようにあっけなく殺されていく。殺されても殺されても、士気を失わず、国家防衛のため自らの命を喜んで差し出す兵士達の凄まじいまでの気迫、気概に心を打たれると同時に、多数の死傷者を生み出した作戦の虚しさにやるせなさを感じました。
主に陸軍の戦闘が中心に描かれる第四巻。秋山兄弟の出番も減り、戦闘ドキュメント調になっています。初めの二巻で主役の1人であった正岡子規の人物描写が好きだったので彼の死以降は読んでいて少々寂しくなりました。<p>明治期日本の心意気を感じる前に、おびただしい数の兵士が戦闘で死んでいく様に圧倒されます。いかに無能であれ、司令参謀を更迭することの不利から、無駄死にするとわかっている兵士を大量に投入しつづける旅順攻撃。戦争とは非人間的なるもの、と今更ながら痛感します。<p>旅順参謀の無能ぶりが繰り返し語られ、読んでいて切なくなるほど。…とその時、その無能な参謀の性格を評して「自分の失敗を他のせいにするような、一種女性的な性格の持ち主であるようだった」との一文を目にし、はあ?と思わず読み返しました。「女なんぞに私の小説を読んで欲しくはない」という著者の声が聞こえた気がして、激しく幻滅。 おじさんくさい読み物は嫌いではないので時々読みますが、こんな経験は初めてです。明治期の日本は興味あるテーマなので、第八巻まで読み通すつもりですが、同じ著者の作品は二度と読みたくならないかもしれません。