奉天の会戦がメイン。<p>およそ日本がロシアに勝てる状況ではありませんでした。実際に読んでいても『本当に勝ったの?』という思いは消えません。筆者もそう考えているからです。<p>この会戦における最大の要因は『敵将の無能、敵国の官僚化』だとすることができます。戦争において自己の保身、利益のみを追求する腐敗官僚主義が主導権を持つことはそのまま滅亡に繋がることがよくわかります。<p>腐敗官僚が指揮する戦争においては、ロシアほどの大国をして、武力、経済力の面で弱小といわざるを得ない日本のような小国にさえ負けさせてしまいます。驚くべき事実ですが本当のことでしょう。<p>日本男児としては痛快な快進撃を期待してしまうところですが、事実は全く違います。驚くべきとしか言いようのない臆病、保身、官僚主義が“無能”という致命的欠点となって日本を勝利に導きます。<p>人生においても学ぶべき教訓が明確に描かれています。
奉天の戦いが描かれる第七巻。秋山好古率いる騎兵隊も大奮戦するが、軽快な騎兵隊の進軍イメージとは程遠いぎりぎりの戦闘が続く。結局敵将クロパトキンの、およそ総大将に適さぬ性格と能力の欠如に日本軍は救われる。彼が総司令官であったことは日本にとっては天佑というしかないが、組織の老朽化した帝政ロシアとしては必然であったに違いない。<br>著者は、奉天の会戦で日本は勝ったのだろうか、と何頁にもわたって考察している。勝利とはいえない側面も多々ありながら、敵の将兵らが負けたと信じて敗走する一方で日本軍が旺盛な士気を保っていたことで、どうやら勝ったと言えそうだ、と読んでいる私も一応納得する。もちろん、日露戦争の勝利は、戦争を長引かせないことに成功したから、と言うことは明白だが。<p>そしていよいよバルチック艦隊が日本海に接近する。艦隊を初めに発見した沖縄の人々の挿話が収められている。本土に電信を送るために命を賭しながら、結局第一報となることを逃してしまうのだが、そんな市井の人の活躍が清々しい。
将についての考えさせられる言葉が多くありました。<p>かれのように防御心理のみで戦争をする場合、敵の出方だけが気になり、その敵の出方でふりまわされる結果になる。<br>つまりは、恐怖が思考の支軸になっていた。<p>型といえば、元来、軍隊というのは型そのものであり、その戦闘についての思考は型そのものであった。<p>天才は型の創始者であり、戦術家としてのナポレオンは自分の編み出した型として存在していた。<p>ウドサァになるための最大の資格は、もっとも有能な配下を抜擢してそれに仕事を自由にやらせ、最後の責任だけは自分がとるということであった。<p>この国家に金や兵が備わり、その独立が十分に出来ていたら、戦争などするには及びません。<p>頭脳は心臓とは異なり、あらゆる可能性を思案しつづけねばならないためにその思案の振幅運動が当然ながら大きくかつ激しい。