<br /> 松山出身の軍人・秋山兄弟と俳人・正岡子規を軸に描く、明治日本の日露戦争史の最終巻。
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<br /> 日露戦争の勝利の影にあったものが、日ロ双方の将兵たちの、はなはだしい優柔不断、意気地のない判断ミス、そして意地汚い保身行為の数々に彩られていた様子を完膚なきまでに指摘した司馬遼太郎の筆使いにはうならされるばかりです。
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<br /> あの戦争は近代化という点ではまだまだよちよち歩きだった日本があれだけの大帝国を相手に勝利を収めた画期的な戦さとして国際的にも高い評価を受けた、という程度の歴史的知識しかありませんでした。この小説を読む限りは、この戦争を境に日本は太平洋戦争へと歯止めの利かない転落を遂げていったという思いを強くするばかりです。
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これほどまでに完全な勝利はかつてなかったというほどの勝利を日本海軍が収めます。<p>ロシアがその威信にかけて送り出したバルチック艦隊と、東郷平八郎率いる日本海軍との壮絶な激戦になるはずでした。<p>火力、艦数に勝るロシア有利が下馬評。<p>秋山真幸が練りに練った作戦。当日の東郷司令官の完全な指揮、それに一糸乱れず艦隊運動を行う日本海軍、戦いの前に編み出された正確無比な砲術。そして、戦火において動ずることなく行動できる戦士の士気。すべてにおいてロシア海軍を圧倒していたのでしょう。<p>戦いはあっけないほど完全に日本軍に軍配が上がりました。<p>ただ、ここでも敵軍のおそまつさに助けられる部分が大きく登場します。しかも、それが戦いの最も最初の部分、敵軍主力と日本海軍主力が最初にあいまみえる場面において出たものですから、『勝負は最初の30分に決した』のだそうです。<p>現代に生きる私たちが全く知らない、国家の為に命を投げ出す(太平洋戦争でのそれとは全く意味が違います)男達の壮絶な生き様に感動し続けていた私にとって、この勝利には胸のすく思いでした。<p>この本に出会うことができて本当に幸せだったと思います。
バルチック艦隊を迎えて最後の盛り上がり。「敵艦見ゆ」に始まり、迫真の戦闘場面へ続く。露艦隊の戦艦が次々と沈み、旗艦スワロフもそれに続く。大航海の語り部であった造船技師ポリトゥスキーや陽気な少尉候補生フォン・クルセリなどの愛すべき登場人物たちも艦と運命をともにする。<p>日本海海戦のあたりになると、秋山真之の描写は天才の側面よりも奇人の側面と苦悩する精神の描写ばかりになり、締めくくりの章は、戦争後の無常観を漂わせて終わる。 戦後の秋山兄弟の生涯についてはごく短くふれられているのみ。筆者もあとがきの中で、この主人公達が軍隊に入隊し、戦争が始まると、彼らは軍隊の組織の中に埋没し、点のようになる。明治という時代を描くにはむしろ軍隊そのものを描写するほうが相応しくなった、というようなことを語っているが、振り返ってみると、確かにこの作品は、青春群像のようであった前半と、戦争ドキュメンタリーのような後半と、全く別の二篇の作品のようだった。<p>単行本で出版された時のあとがきがまとめて掲載されており、明治という時代に対する思いや執筆時のエピソードなど、読み応えのあるエッセイになっている。そのあとがき集にも出てくるが、全巻を通じて印象に残ったことのひとつは、乃木神話の否定だった。特に日本史ファンではない私にとって、学校時代の教育が日本史の知識の大部分を占めるわけだが、坂の上の雲を読むまで、乃木大将は日露戦争で立派な戦功を収めた軍人であったと思っていた。学校時代といえば昭和40年代後半以降だが、今の子供はどう教わるのか気にかかる。昨今歴史認識の問題が喧しいが、外交上の事実関係はさておき、日本人は近代の歴史認識について、自分たち自身に向けてもやはり怠惰なのだろうか。