城山三郎の小説は学生時代はとても親しんだが、実際に社会人となって企業に勤めだしてから、おもしろさが半減した。<br>一種のロマンであり賛歌であるため、甘ったるく感じるのだ。<br>人物伝として、本書は評価できるが、美化されすぎているように感じられる。
今、日本には不況ムード一色で、経営を立て直す救世主は日本人以外となっている。しかし、この人を含め、この時代のトップを見ると「この人ならやっただろうな。」と思えてくる。<p>戦後の環境が日本にこういったトップをたくさん生み出す結果となったのは事実であろう。だが、この本を読んでいると、だからといって今の時代のトップが同じ事をできないというのは、言い訳に過ぎない気がする。<p>自分の身の丈をよく知り、かつプライド(いい意味で)が高い。<p>「自分がどう見られているか」にこだわる人は多いが、結局トップ自身が「自分がどう生きたい。」という事にこだわらなかった結果が不況を生んだ気もした。<p>正義感が強すぎる?不況を生み出し、出口のない「あいまいさ」よりましだ。
城山三郎の作品では『臨3311に乗れ』に衝撃を受け、それから数年後に本書を読みましたが、『臨3311に乗れ』と同様、寸暇を惜しんで読みました。<br>確かな人物を確かな取材の裏打ちによって描く鮮やかな人間描写は、やはり城山三郎の作品に共通するものがありました。<p>この、石田禮助という三井物産社長から国鉄総裁になった稀有な人物を、私は初めて本書で知ることが出来ました。<br>それも、まるで友人からその親しい知人を紹介してもらったかのように。<p>それは『臨3311に乗れ』と同様、「こんな痛快な日本人がいたんだ!」という共通の感想を興奮を以って伝えたくなるような衝動をすら覚えるほどに、素晴らしく楽しい経験(読書)でした。<p>松下幸之助や本田惣一郎を口角泡を飛ばすかのよう